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赤地葉子のつれづれロック

第12回 今夜を救え 夜明けに抗え

スウェーデン出身のアーティスト、イーグル・アイ・チェリーの曲、「セイヴ・トゥナイト」。旅立つ前夜、恋人との限られた、切なくて愛おしい時間を歌う。

「僕が去るのは お互い分かっていることだ そうでなければいいのにと 願ってしまう このワインを一緒に飲もう 僕らの苦しみを遅らせよう」

どんなに楽しい時間も、恋も、幸福感も、いつか決定的な終わりが来る。そんな現実を、優しく語りかけるような、特徴のあるボーカルとキャッチ―な旋律で歌う。

アバやロクセットなど、アメリカ・イギリスの英語圏で大きな成功を収めるスウェーデン出身の歌手たちが生まれるのは、スウェーデン人が英語で歌うとき、その微妙なアクセントが受けることにも起因している、と聞いたことがある。デンマーク人の夫がうらめしく言っていただけなので、どこまで信頼できるのか分からないし、アメリカ人の父を持ち、10代でアメリカへ渡って長年そこで活動していたイーグル・アイ・チェリーの英語がどれだけスウェーデン語に影響されているのか知る由もないが、私には彼の歌声のアクセントがかなり独特に響く。

このひとときが、この宴が、この一日が、この一夜が、永遠に続けばいいのに、とそんな風に思えること自体が、生きていることの証なのだろう。そして、それが終わってしまった後に、そのひとときを思い返し、感傷に浸るのもまた、生きる、もしくは歳を取る、ということなのかもしれない。

「今夜を救え そして夜明けに抗え 明日が来たら もう僕はいない」

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数年前に、友人の本棚がきっかけで知った、カナダ人作家のアリス・マンロー。手に取って、ちょっと自分の好みではないかな、退屈かな、と読み始めた最初の一冊だったが、いつのまにか引き込まれていった。彼女の短編の多くは、素朴な設定で、ストーリー自体も地味だ。一見何の変哲もない、カナダの田舎出身の女の子や子持ちの若い夫婦や孤独な老人が主人公だったりする。自伝的な要素もあるようで、似た設定が幾度も繰り返される。表面的にはありふれた話の中に、人間の持つ生々しい感情や、女性の性的な欲望や、どうしようもない心の闇などが、ごくごく正直に、当然のように垣間見せる。

昨年の長い冬、夜によく眠れなかった時期に、改めて彼女の本を数冊、順々に読んでいった。寝る前にベッドで短編を一点ずつ読んだ。快眠に向いている内容では必ずしもないのだが、音楽を聴くように、短い時間で別世界にワープする、という要望には、適していた。彼女の英語は読みやすく、端的でいて詩的だ。

長らく、マンローの物語のどこに魅かれるのか、はっきりと言葉にできなかった。多分、私にとって、何が圧巻かというと、彼女の作品を読んでいくと、私たち誰一人として抗うことのできない、『時間』の非情さが浮き上がることだと思う。音のない大きな波のように押し寄せる『時間』に、一人ひとりがなすすべもなく飲み込まれていくのが見えてくるようだ。ある時点で起こった一つの事件や出来事の意味は、『時間』によって、容赦なく増幅する。時の流れほど、当然で確実なものはない。だからこそ普段は私たちは意識しない。その『時間』の仕打ちの残酷さが、一編ずつに、凝縮されている。

子どもの頃の親子関係に大人になっても苦しめられたり、衝動的な行動をある日とった結果、その後の人生が全く異なるものになったり、一つの小さな誤解がその後一生をかけて想う相手との恋愛を諦めさせたり、いくばくもない余命を尊厳を持って生きようとしつつ何が現実で何が夢なのかが分からなくなったり。

ある一編では、二人の幼い子どもを持つ母親が主人公で、彼女は現実逃避のために不倫に走り、その結果夫のもとに子どもを置いて、家を出ていくことになる。それは彼女が選んだこと、というよりは、そうする選択肢しかその時の彼女には多分なかったのだが、それでも彼女は深い悔恨の痛みと共存してその後を過ごす。

「自分に言い聞かせて。あなたはどちらにしても、あの子たちを失うことになるの。子どもたちは成長するのよ。」

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本を読んだり、音楽を聴いたりすることで随分と助けられている最近、それらの持つ力について考えている。私たちをどこか遠くへ連れて行ってくれたり、新しい感情を引き起こしたり、懐かしい記憶を彷彿させたりする。さらにつぎのような側面も、あるのではないだろうか。

淡々とすぎていく毎日。流れる歳月。自分の生活している限られた場所。どっぷりとつかっている現実。その鈍くなっている輪郭に、はっとするような鮮やかさで、光のように切り込む言葉や音。その文章や歌に触れる前には気づかなかった、しかし、常にそこに存在していたものが見えてくる。

できれば痛みや悔恨などの重荷に足をとらわれたくない。世の中の醜悪さに沈められたくない。過去ばかりにとらわれるよりも、今を生きたい。

そのような願いをかなえるために、文章や歌は、時の波にただただ流されるばかりではなく、束の間でも、私たちをその波の上に乗せ、呼吸をさせてくれるのかもしれない。

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90年代にヒットとしたこの曲は、イーグル・アイ・チェリーの代表作だ。インタビューでは、見知らぬ他人からよく「セイヴ・トゥナイト?」と声を掛けられるため、ほとんど自分の名前のようなものだと笑っていた。アメリカからスウェーデンに戻り、この曲以外にも良い作品を多く出している彼は、現在も音楽を続けている。2021年新曲の “I Like It” は少し退廃的で、はかなくて、彼のユーモアも健在で、相変わらず良い旋律だ。この新曲も、「セイヴ・トゥナイト」も、彼の別の曲 “Streets of You” なども、彼の音楽は、『時間』が一つの主題なのかもしれない。歳を重ねながら創る彼の新しい音楽をこれから先も聴けることを、私は楽しみにしている。

赤地葉子

・Save Tonight, Eagle-Eye Cherry

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著者略歴

  1. 赤地 葉子

    1977年広島県生まれ。ハーバード大学パブリックヘルス大学院博士(国際保健)。東京大学学士(薬学)。世界保健機関(WHO)、グローバルファンド(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、他の大学・国連研究所やNGOに勤務し、途上国における母子保健の推進、家族計画、マラリア対策、保健システムの強化等に政策、研究、現地調査を通して取り組む。2017年より国際開発(主に保健・ジェンダー)、ヘルスケア関連の個人コンサルタントとして独立し、フィンランドでデンマーク人の夫と二人の子どもと暮らす。著書に『北欧から「生きやすい社会」を考える』(新曜社)。

    ■クラルス掲載記事
    連載「赤地葉子のつれづれロック」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/categories/950

    「一斉休校の陰で苦しむ子どもたち」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/5237

    「生きる力を育む包括的性(セクシュアリティ)教育」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/491

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