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赤地葉子のつれづれロック

第3回 妊娠中絶のタブーと偽善、それを打ち破ったパンクの歌

人工妊娠中絶ほど、タブー視されるテーマはないのではないか。

それを1970年代にイギリスで、この上なく激しく歌ったセックス・ピストルズ。 “Bodies(死体)” [i]というこの歌を一言で表せば「怒り」なのだけれども、歌詞も音楽もただの怒りではなくて、一切妥協のない、凄まじい、爆発的な怒りだ。

不穏な響きの前奏の後、叫ばれる冒頭の歌詞がいきなり、精神を病んでいる女の子がちょうど今中絶をした、だ。実在したファンの一人に基づいているらしい。また、ジョン・ライドンは、自分の母親の流産の後処理を手伝わなくてはならなかったという。自分の弟や妹に当たる胎児をトイレに流した。家庭状況を振り返ると、自分自身も中絶されてた可能性があると、後年のローリングストーン誌のインタビュー[ii]で話している。それらの経験をも踏まえて、この歌は二十歳そこそこのライドンによって書かれ、歌われたのだろう。

彼は、中絶された赤ちゃんの立場で叫ぶ。炸裂する卑語に混じって「マミィ(お母ちゃん)」と、親に向かって呼びかけている。

「俺は排泄物じゃない!」、「俺は獣じゃない!」

前述のインタビューでライドンは、中絶を選ぶのは、常に女性の権利だ、しかし、中絶は軽く扱われるべきものではないと思う、と話している。中絶は軽く扱われるべきものではない。その通りだと思う。人間の命の始まりの意図的な終焉。重たく、深刻で、様々な要素が絡み合っている問題であるからこそ、私たちは肩をすくめ、口をつぐみ、あたかもそれが存在しないかのように振る舞う。沈黙を守る方がずっと楽で簡単だからだ。そんな表面だけを取り繕っている私たちを、この歌によって地べたへ引きずり下ろし、否が応でも中絶という課題に向き合わせたパンクロックバンドがセックス・ピストルズだった。

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“Bodies” が初めて歌われてから半世紀近く経った現在。

20世紀後半から妊娠中絶の合法化は世界的に進んできた。しかし、妊娠中絶に関しての諸国の規制法令は、ピンからキリまであり、法的な例外なしで断固として禁止という厳しいものも、未だに存在する。

中絶が犯罪とされ、必要な医療処置を受けることができないときに、危険な中絶が行われる。世界中の妊産婦死亡の8-15%が、安全でない中絶が原因であるとされている。[iii][iv]

危険を伴い、侵襲的な中絶手術の代わりに、2000年ごろから経口中絶薬がより広く世界で使われるようになったことで、以前よりも中絶による被害は減っている。薬による妊娠中絶は、経口避妊薬の開発以来、リプロダクティブ・ヘルスの技術における最も重要な進歩であるといわれている。中絶薬のミフェプリストン - ミソプロストールは、WHOの必須医薬品コアリストにも載っている薬であり、コストを安く抑えることにより広くアクセスできるようにすべき薬である。侵襲性の外科用器具ではなく、薬の使用を含むこの中絶法は、安全であり[v] [vi]、妊娠早期終了に対して95%以上の効果があることが示されている。[vii] [viii]

100%有効な避妊法は存在しない。そしてレイプでは多くの場合、避妊は不可能である。その結果、意図しない妊娠が起こる。暴力が存在する限り、意図しない妊娠は起こりうるわけだ。10代の妊娠は、貧しい家庭で起こりやすい。これは世界のどこでも、共通している。若い女性にとって、貧困と格差と性の不平等の結果が、レイプであり、性的取引であり、避妊の欠如であり、ひいては望まない妊娠や、危険な中絶である。

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自分の携わってきたパブリックヘルス、この人間の健康を向上するための科学においてでさえも、中絶はしばし、非常に扱いにくい課題である。パブリックヘルスの科学的実証は、例えば経口中絶薬の安全性や中絶を非合法にすることの女性の健康への被害などについては、揺るぎない。しかし、ここに政治、宗教、金が絡んでくる。

国際保健の一番大きな貢献者であるアメリカの政治において、人工妊娠中絶問題は、非常に重要な争点の一つだ。宗教右派を中心とした中絶反対派(プロ・ライフ派)と、「女性の権利」としての中絶を主張する中絶擁護派(プロ・チョイス派)の二つに分断され、宗教右派は強力な共和党支持基盤となっている。1980年代から歴代の共和党大統領たちが政権を握るやいなや、繰り返し通称「グローバル・ギャグ・ルール」(口封じの世界ルール)を採択してきた。この政策は、アメリカの資金援助を受けている米国外の非政府団体が、家族計画の一環として人工中絶を議論するだけでも、米国支援対象から外されることを意味する。これは、アメリカの納税者のお金が中絶と中絶に関連するサービスに使われるべきでないという信念に基づいている。

私は子どもの健康に関心を持ったことがきっかけでパブリックヘルスを志し、続いて幼少期の栄養状態やマラリアなどに取り組んだ。しかし、次第に、子どもの健康と福祉(well-being)がどれだけ親の、特に母親の健康と福祉に密接につながっているかを理解するにつれて、セクシュアル・アンド・リプロダクティブ・ヘルス & ライツ(SRHR)の重要性を認識した。

SRHRはセンシティブな分野だ。疾病撲滅などは、反対する人はいないだろう。母子保健推進を国際開発の最重要項の一つに掲げ、ODAという形で援助する先進国政府も、それを受ける途上国政府も、母親と子どものために、というとニコニコとしながらうなずいても、若者の性と生殖の権利、中絶、という話題になると顔をしかめて首を振ることがある。米国の資金援助を受けている組織で働いていた時は、その組織がHIVエイズの仕事をするにもかかわらず、「生殖」という言葉をどのように使うかなどについて、幹部は非常に敏感であった。そんな中、私はSRHRに興味を持ちつつ、どこか妥協しながら、こわごわと遠目に見ていた。

今年の初め、経口中絶薬による中絶を遠隔で支援する団体の仕事をほんの少し、手伝う機会があった。中絶薬についてもっとしっかりと学びたかった自分にとって、ちょうど良いと思って引き受けたのだった。作業をとおして確かに経口中絶薬についての知識を得ることができたのだが、これだけ精神的にしんどい作業になるとは、予想していなかった。やわな自分に情けなくなると同時に、もっと早く真剣に学び、考えるべきことだったのだ、と自分を叱咤しながら作業を完了した。

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日本でも、避妊は議論されるようになっても、中絶はいまだに触れられない。日本ではまだ中絶薬が認可されていない。避妊に関しての情報も選択肢も少なく、アクセスは限られ、望まぬ妊娠をしてしまった際に余儀なく中絶する時は、安全な薬の代わりに、心にも体にも傷が残る手術をさせられる。性教育は必要ない、猥褻だ、と政策者たちが公言し、その結果、妊娠についても不妊についても知識は世界で最下位を争っている。

日本で、若い女性が新生児の遺体遺棄で逮捕された、という報道がある度に、なんてひどい女性だ、なんてかわいそうな赤ちゃんだ、と反応する前に、私たち一人ひとりはもう一歩踏み込んで、考えるべきだ。

どのような状況で彼女は望まない妊娠をしたのか? 避妊できなかったのはなぜだろうか? レイプだったのだろうか? 緊急避妊薬がなぜ彼女は手に入らなかったのか? 早期の妊娠中絶をなぜできなかったのだろうか? なぜ家族は彼女の妊娠に気がつかなかったのだろうか? 彼女は性や妊娠について何を学校で、家庭で学んだのか? もし赤ちゃんが無事に生まれ、生き延びることができても、彼女は赤ちゃんを育てられたのだろうか? 学校を卒業し、仕事を見つけ、自分と子どもが共に生きていける道を歩めたのだろうか? 孤立した若い、シングルマザーとして、適切な支援は受けられたのだろうか? このような惨事がなぜ起きて、どうすれば防げるのか?

そこまで考えなければ、このような事件で逮捕された女性を非難し、亡くなった赤ちゃんを憐れむのは、偽善だと思う。

中絶を歌にしたら、セックス・ピストルズの この歌、“Bodies”になるのだろう。救いようのない怒りしかない。そしてこれは、決して鎮火してはいけない怒りだ。

 

赤地葉子

・Bodies, Sex Pistols

 

[i] この曲 “Bodies”の邦訳の題名は、「お前は売女」だが、ひどく間違っていると思うのでここでは使用しなかった。

[ii] Sex Pistols Break Down ‘Never Mind the Bollocks’ Track by Track. As the British punk landmark turns 40, Johnny Rotten and Glen Matlock look back. By KORY GROW. Rolling Stone. OCTOBER 27, 2017 3:07PM ET https://www.rollingstone.com/music/music-features/sex-pistols-break-down-never-mind-the-bollocks-track-by-track-204277/

[iii] Say, Lale et al. 2014. Global causes of maternal death: a WHO systematic analysis, Lancet Global Health 2(6): e323–e333.

[iv] Kassebaum, Nicholas J. et al. 2014. Global, regional, and national levels and causes of maternal mortality during 1990–2013: A systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2013, The Lancet 384: 980–1004.

[v] Jones R and Boonstra H, The public health implications of the FDA’s update to the medication abortion label, Health Affairs Blog, 2016, http://healthaffairs.org/blog/2016/06/30/the-public-health-implications-of-the-fdas-update-to-the-medication-abortion-label/

[vi] FDA, Questions and answers on Mifeprex, 2021, https://www.fda.gov/drugs/postmarket-drug-safety-information-patients-and-providers/questions-and-answers-mifeprex

[vii] Chen MJ and Creinin MD, Mifepristone with buccal misoprostol for medical abortion: a systematic review, Obstetrics & Gynecology, 2015, 126(1):12–121, https://escholarship.org/uc/item/0v4749ss 

[viii] Winikoff B, Sheldon W. Use of medicines changing the face of abortion. Int Perspect Sex Reprod Health. 2012;38(3):164-166. doi:10.1363/3816412

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著者略歴

  1. 赤地 葉子

    1977年広島県生まれ。ハーバード大学パブリックヘルス大学院博士(国際保健)。東京大学学士(薬学)。世界保健機関(WHO)、グローバルファンド(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、他の大学・国連研究所やNGOに勤務し、途上国における母子保健の推進、家族計画、マラリア対策、保健システムの強化等に政策、研究、現地調査を通して取り組む。2017年より国際開発(主に保健・ジェンダー)、ヘルスケア関連の個人コンサルタントとして独立し、フィンランドでデンマーク人の夫と二人の子どもと暮らす。著書に『北欧から「生きやすい社会」を考える』(新曜社)。

    ■クラルス掲載記事
    連載「赤地葉子のつれづれロック」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/categories/950

    「一斉休校の陰で苦しむ子どもたち」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/5237

    「生きる力を育む包括的性(セクシュアリティ)教育」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/491

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