第5回 自分を守るために逃げる
悲痛な叫び のような、忘れられない声で始まるブロンスキ・ビートの曲、「スモールタウン・ボーイ」。
「自分の魂に向かって 泣け 泣け 泣け」
このトリオのバンドは80年代にメンバー全員がゲイであることをカミングアウトしていた。この曲は、小さな町で育ったゲイの若者が経験する疎外感や孤独を歌うのだが、疎外感や孤独の苦さは誰もが経験する感情だ。だからこそ、シンセサイザーを使ったポップな音楽、哀愁と優しさのあるボーカルとも相まって、ヒット曲になったのだろう。
「自分の持ち物すべてを詰めた小さなカバン、風と雨に当たりながら一人プラットホームに惨めにたたずむ」
「何故去らなければいけないのか 絶対に理解されなくても」
「その場に居残ったら決して自分の求めているものは見つからない」
「逃げろ 逃げろ 逃げろ 離れろ 離れろ 離れろ」
切なくても決して弱々しくないのは、自分を貫く潔さと正直さが根底にあるからなのかもしれない。当時、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルなどのゲイのミュージシャンたちは、自分のホモセクシュアリティを公にせず、歌詞も大衆受けするヘテロセクシュアルな内容だった。その時代に、ブロンスキ・ビートは自分たちの立ち位置をはっきりとさせていた。
逃げるということは負けたり屈することではない、自分を守るために必要なときもある。ボーカルのジミー・サマービルは歌う。
「どんなに彼らが僕を傷つけて、泣かせようとしても、彼らには泣かない
いや、決して彼らには泣かない、自分の魂に向かってだけ泣くんだ」
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私も大学生の一時期、東京というメトロポリスの人間関係の在り方が、距離の取り方が遠すぎて、あまりにも冷たいと感じてしまっていた。一人で、委縮してしまっていた。そんな頃、留学生グループの一団と知り合い、たまに遊ぶようになった。彼らは皆、半年か一年間限定で東京に滞在し、思い切り満喫して世界各国それぞれの出身地へ戻ることになっていた。刹那的だがカラッとしていて楽しく、そのまわりの日本人学生たちも自分と同じ帰国子女や留学体験者が多くて話しやすく、彼らと共に自分の知らなかった東京を見て経験することになった。バイト帰りに研究室に戻って実験を終わらせるはずだったのが、なぜか気づいたら明け方に、ブラジリアン・バーで羽のたくさんついた衣装のサンバダンサーの後ろで踊っていたことがあった。
そのグループの中で特に親しくなったオーストラリア人の子は、太陽のような人だった。いつも笑っていて、豪快だった。母国では法律を学んでいて、留学中は日本の働く母親たちについて研究をしていた。久々にどんなことでも話せる友達が身近にできたような気がした。一度大勢で終電を逃すまで飲み歩き、留学生たちが滞在していた寮へ向かった時、彼女の自転車の後ろに乗せてもらった。酔っぱらって皆でバカなことを言い合いながらフラフラと自転車軍団は進み、大笑いしていたはずなのに、彼女の背中の温もりに、ほろりとするほど私は久々の安堵感を覚えた。
彼女はメルボルンに戻った後も、調査のために東京へ来ることがあり、私が一人暮らしをしていたボロボロな木造アパートにも泊まりにきた。他の日は、私も知っている日本人の友人のマンションに泊まっていた。彼女と私は、当時気に入って夜に二人で飲んでいたカモミールのミルクティーを、狭い台所で作りながら、その友人のことを話していた。
「彼はね、自分がゲイであることを隠そうとしている。あまりにも明らかな状況でも、それでも隠そうとしたから、私も知らないふりをする。だからあなたもそう接するほうがいいと思う。でもしっかりと見守っていて。日本はこういう社会でしょう。辛いと思う。そしてもし、いつか彼からそのことをあなたに話すことがあったら、その時は、そばにいてあげてね」
当時は、彼を、そして他の多くの人々をそうさせている環境にもどかしさを覚えるとともに、どうして私たちにまで隠すのか、水臭い、と思ってしまった。別に友情が変わるわけではないのに。どうして親しい友達にも距離を置くのだろう、私がそうさせてしまうのか、と何か自分自身にも苛立った。でも、友情がそれによって変わることがないからこそ、別に話す必要もないのかもしれない。彼が話す必要がない限り、それはどちらでもいいことだ。
その後、間もなく彼が海外の新天地で働くことになり、新宿ではなむけの一杯を飲んだ。おめでとうございます、楽しみですね、お元気で、そんな言葉に、いつも通りにこにこと笑い、爽やかな彼だった。しかし、別れ際にハグしながら、なんだか言い残したことがあるような気がした。
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ある時、2019年女子サッカーW杯フランス大会で、二大会連続優勝したアメリカ代表チームの主将、メーガン・ラピノー選手のインタビューを偶然目にした。スポーツに疎い私は彼女のことを初めて知ったのだが、淡い紫色に髪の毛を染めてフィールドでも目立つレズビアンの彼女は、LGBTQ界を代表するアスリートだそうだ。2016年にアフリカ系アメリカ人に対する警察の暴力に抗議し、国歌斉唱中に跪くことで起立を拒否したNFLアメフト選手コリン・キャパニックへの支持を、同様に国歌斉唱中に跪くことで表明した。トランプ大統領からの明確なプレッシャーの下、ラピノーは、支持を表明した数少ない白人アスリートの一人であった。また、組織的に性差別を行っているとして、女子サッカーアメリカ代表28選手がアメリカサッカー連盟を提訴したが、主将としてそれにも関わっている。LGBTQやマイノリティの権利のために長年戦ってきた彼女は、2017年「ガーディアン」紙でこう語っている。
「ゲイの権利、給与の平等性、性差別、人種差別、それらについてより多く学ぶことができるにつれ、すべてが交差する」
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親元を離れても、地方から都会へ出ても、働く組織を変えても、自分の国を飛び出て渡り歩いても、この世にいる限り、いつまでも付きまとう自分の属性に対する偏見、差別、しがらみ。簡単に捨てられないことは分かっている。いずれ向き合う必要があることも分かっている。それでも、私たちは、少しでも息をしやすい場所と仲間を求めて漂う。自分を傷つけて泣かせようとする人たちを避けながら、漂う。
新宿の高層ビルで果てしなく広がる東京の無機質な夜景を前にして飲みながら、最後にこんなことを友人に伝えたかったのだ、とブロンスキ・ビートのこの曲を聴きながら、今更気づく。およそはなむけの言葉とはかけ離れているけれども。
「お互い、潰されずに、とにかく逃げて逃げて、逃げ続けましょう。」
赤地葉子
・Smalltown Boy, Bronski Beat