第1回 出版記念シンポジウムを振り返る(田中・今泉・金山・弘光・浅井)
2024年1月20日、お茶の水女子大学で「自己の科学は可能か」と題するシンポジウムを開催した。同名の書籍『自己の科学は可能か――心身脳問題として考える』を刊行したことにちなんだシンポジウムで、Round 1として浅井智久・金山範明・田中彰吾による著者講演、Round 2として入來篤史氏・積山薫氏・苧阪直行氏によるゲスト講演、Round 3として著者5名とゲスト3名によるディスカッション、という構成で実施した。対面とオンライン、合わせて150名以上の参加があり、盛況のうちに終了した。
未見の読者のために書籍の内容を簡略に示しておこう。本書は、21世紀に展開されてきた「自己の科学」を振り返り、最先端の研究を紹介するとともに、「心身脳問題」という観点から未来を展望する試みである。自己は脳によって作られるのか? 身体性に規定されるのか? 記憶と物語から構築されるのか? さまざまな観点から考察できる「自己」を5名の著者が縦横に論じたものになっている。
さて、書籍の出版記念として開催することで、本文を執筆するという長期のミッションもこれで無事コンプリート、となるはずだった。だが、シンポジウムでの熱い議論がさまざまな疑問を呼び込み、このまま終わるに終われなくなってしまった。この連載は、当日いただいたコメントや質問に応じる形を取りながら、本書から始まる自己研究の新たな幕開けを記すために企画したものである(少々大袈裟だが)。
われわれは本書において、自己の科学を「心身脳」という3体の相関問題として整理することで、物理学における3体問題と同様の困難を含み、また科学として一種の不良設定性を備えていることを指摘した(シンポジウムではゲスト講演で苧阪直行先生がこの点に言及された)。
そしてシンポジウム当日に得た暫定的な結論は、自己の科学はいまだ十分に成立していないのではないか、また、成立できなかったことでかえって近年の瞑想研究に見られるような「無自己(無我)の科学」に変貌しようとしているのではないか、というものだった(もちろんこの結論に納得した著者は一人としていなかったが)。
他方、このような暫定的な結論それ自体、「自己の科学」が現代科学の枠内では十分に扱えないものであることを示唆し、次世代の科学のあるべき姿を考える機会を提供していることを意味する(シンポジウムではゲスト講演で入來篤史先生がこの点を指摘された)。既存の科学とその方法に対して十分な敬意を払うことは重要である(シンポジウムでは積山薫先生がこの点を強調された)。だが他方で、「自己」は現代科学と一線を画す新たな公理系においてさらに問われるべき課題のようにも思われる。
当日の振り返りはこのくらいにして、次回からは、当日寄せられた質問とコメントをもとに新たな議論を展開していきたい。