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赤地葉子のつれづれロック

第11回 性暴力被害に声を上げる女性たち

ライオット・ガール(Riot Grrrl)は、1990年代に始まったパンク音楽とフェミニズムと政治を結びつけたサブカル運動だ。ライオット・ガールの歌は、性虐待、レイプ、家庭内暴力、セクシュアリティ、家父長制、女性のエンパワーメントなどをテーマとする。米国北西部ワシントン州のオリンピアで活動を始めたバンド、ビキニ・キルは、その先駆け的存在とされている。

ビキニ・キルのリードシンガーのキャスリーン・ハンナは、当初、性差別と女性に対する暴力をテーマとした一人語りパフォーマンスをしていた。ハンナのドキュメンタリー映画[i]の映像でも残っており、迫力がある。

「私はみんなに言うわ。真夜中に私の家で、あなたがやったことを。私は黙らない。真夜中に私の家で、あなたがやったことを。あなたは私の大きな口を閉ざすことはできない。私はあなたの最悪の悪夢よ。でも私は夢を見ていなかった。真夜中に私の家で。あなたがやったことを。みんなに言う。みんなに言う。」

しかし、伝えたいことがあり、人に耳を傾けてもらいたいのであれば、一人語りなんてしないで、音楽をしなさいと助言され、ハンナは歌い始めた。彼女はインタビューで話す。

「女性が勇気をもって真実を語ろうとするとき、彼女はまず疑われる。でも、私のことを信じてくれる女性がいるかもしれないと気づいたの。」

ビキニ・キルは、男性が圧倒的に多数派を占めるパンクロックに、もっと女性を参加させることを目指していた。ハンナたちは、コンサートをするたびに、一部の男性観客による容赦ない言葉の攻撃と暴力に脅かされた。そのためにも、女性観客たちをステージ前方に呼び寄せたり、ハンナや他のバンドメンバーたちが群衆の中に飛び込んで、ヤジを飛ばす男性観客を自ら排除しようとした。しかし、コンサート前はいつもメンバーたちは恐怖を感じ、特にハンナの身の安全が危ぶまれたという。脅迫や暴力に常にさらされ、大手メディアの嘲笑の的になりながら彼女たちは歌いつづけた。ハンナはドキュメンタリーの最後の方で言う。

「私の言っていることを気にしない人、信じない人がいるのは分かるし、それは別にどうでもいいの。ただ、その人たちは、私の妨げとなる必要はない。そこまで妨害しなくていいはずよ。」

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今回は、一つの、長年にわたって犯された悪質な性虐待事件と、疑われても真実を述べ、闘った女性たちの話になる。

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アメリカ体操連盟とミシガン州立大学の医師として、2016年までラリー・ナサールはオリンピック女子体操チームの診察にあたった。多くの若い体操選手は、ナサールを自分たちを助けてくれるスポーツ医学界の第一人者として崇め、彼に診てもらえる少女たちは幸運であると言われていた。けがを治すために、より強くなるために、メダル獲得と栄光のために彼の治療を必要としていた。しかし、ナサールは女性とその保護者の信頼を一度得ると、「治療」という名のもとで巧妙に性的虐待を行っていた。それは30年にもわたる行動で、何百人、ひょっとすると何千人、という若い女性の被害者を生みだした。

なぜこれだけ長いこと、このようなことが続いたのか。どうやってそれが可能だったのか。

ミシガン州は1990年代から、すでに被害者を含めた関係者からナサールに関する懸念の警告を受けていたが、届け出は無視された。2014年にミシガン州立大学の学生が大学に被害を届け出た際、「あなたは性的暴行と医療処置の違いを理解していません」と諭されたと言う。

被害者の一人、レイチェル・デンホランダーは30代の三児の母として、ケンタッキー州で暮らしていた。2016年8月、一つの記事が目に入った。インディアナ州の小さな地方紙『インディアナポリス・スター』が、丹念に調査し、資料を集め、取材し、記事にしたのは、アメリカ体操連盟が虐待の証拠を隠蔽しようとした、という事実であった。体操連盟の幹部は複数回にわたり、性的虐待の申し立てを法執行機関にしていなかったことが明るみに出た。記事に個人名は挙がっていなかったが、デンホランダーに15歳の時の記憶が蘇った。ラリー・ナサールという医師の下で受けた、屈辱的で苦しい、その後も彼女をずっと苛んだ「治療」が蘇った。デンホランダーは新聞社にすぐ連絡をとり、15歳の時にナサール医師によって性虐待を受けたこと、実名を出す心づもりもできていることをメールに書いた。これは報道の点からしても、大きな転機であった。ナサールから性虐待を受け、デンホランダーと同時期にナサールを告発したカリフォルニア州在住の女性は当初、実名を出すことを拒んだ[ii]。デンホランダーはたった一人、自分の名前を公にし、2016年にナサールを告発した。

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弁護士でもあるデンホランダーは、徹底的に資料を揃えた。本来の「骨盤底テクニック」がどのようなものかを示す医学雑誌。ナサールは彼女の膣の中に指を入れたが、そのような「テクニック」について何も書かれていない診療記録。治療は医学的ではなかったことを警察に証明できる骨盤底専門家三名の名前。2004年に彼女が虐待について打ち明けた内容を文書化した看護師による記録。当時の彼女の日記。そして彼女の人格を保証する近隣地区の弁護士からの手紙。

そこまで準備しなければ、信じてもらえないということをデンホランダーは心得ていた。そしてそこまで準備しても、この件で実名が公になったことで受けることになった苦痛は想像を超えるもので、まったく準備ができていなかった、と言う。彼女は自分の教会とのつながりを失った。最も親しかった友人たちを失った。プライバシーのすべてを失った。何も話したくなかったときに、誰も聞いていい権利などないはずの質問をされた。幼い子どもたちが母親の載っている新聞や雑誌を見ないように、スーパーや店を避けた。訴訟を進めようと力を振り絞る中、心ない言葉を投げかけられた。しかし、彼女は、まさにそのような土壌こそが、ナサールのような者の存在を維持しうるのだ、と自身を奮い立たせた。どのような代償を払おうと、自分が正しいと信じることをしようと決心していた。[iii]

デンホランダーが実名公表した直後から、ナサールに性虐待を受けた被害者は次々に前へ出た。30年前に被害を受けた女性、デンホランダーが訴訟を起こした数日前まで被害を受けていた女性。虐待を受けた時にまだ6歳であった女性。あっという間に、200人以上の女性たちが性虐待を申し立てた。そしてさらに明るみに出たのが、多くのコーチ、トレーナー、心理学者、大学関係者たちが、何年にもわたって、ナサールに関しての警告を受けていたのにもかかわらず、何もしなかった、隠蔽されていたという事実であった。声を上げた女性は黙らされ、否定され、軽蔑された。チームから外された。彼女たちは好きだったスポーツがつづけられなくなった。夢を諦めた。もしくは同じ医師のもとに戻され、虐待を受けつづけた。心の傷を負った。人を信じられなくなった。精神を病んだ。

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このような一人一人の経験は、公開の法廷で実施された量刑審問で、前に出ることを選んだ被害者が順々に語ることになった。7日間にわたって、156人の被害者が自分の受けた性虐待とその影響についての声明を、被害者参加制度(Victim Impact Statement)として、それぞれナサールの前で読みあげた。[iv]  被害は、ジムで、診療室で、ミシガン州立大学で、ナサールの自宅で、旅先のホテルで、強化合宿で、ロンドンで、テキサスで、ロッテルダムで、あらゆる場所で起きていた。証言をしたのは、若い女性(中にはまだ10代の女性もいた)、知らずに自分の子どもたちを虐待にあわせていた親たち、オリンピックのメダリストたち。156番目に、最後に前に進み出たのが、デンホランダーであった。もう彼女は独りぼっちではなかった。

ナサールが、判決前の週に裁判所に提出した書簡を、ローズマリー・アキリーナ裁判長は法廷で読みあげた。被告の手紙には、告発者たちはメディアで目立ちたがっていること、彼女たちの目的は金であること、そして「ふられた女の恨みほど怖いものはない」と書かれていた。聴衆からは阿鼻叫喚の声が聞こえた。読み終えたアキリーナはナサールに言った。「この手紙から、あなたはまだ自分のしたことに責任がとれていないことが、伝わってきます」。アキリーナはつづける。「どういうわけか、あなたはまだ、自分は正しい、自分は医師だ、自分は特別だ、だから他人の声を聞く必要はない、と考えている。自分は『治療』をしただけだ、と。私はあなたのところへは犬さえよこしません」

その日、裁判長によって、複数の性犯罪に対し、ナサールに最低40年、最高175年の禁固刑が言い渡された。ナサールは、翌月に別の訴訟で性犯罪のためにミシガン州の裁判所から40年から125年の刑を宣告され、また別の連邦訴訟で児童ポルノに関連した有罪判決で60年の刑を宣告されている。これらの判決に加え、訴訟はナサールの雇い主であるアメリカ体操連盟とミシガン州立大学の最高幹部たちの追放に及んだ。しかし、まだ責任を取るべき人々は責任をとっておらず、根本的な体質の改革は起きていない、このような虐待がどこかで起こりつづけている可能性がある、と被害者たちは指摘する。

ナサールを起訴したのは、当時ミシガン州の州検事補佐であったアンジェラ・ポビライティスであった。初めて実名を公表したデンホランダーは、ポビライティスが彼女のことを信じてくれたことで、すべてが変わった、と振り返る。ポビライティスはナサールとの法的合意に達し、すべての被害者またはその代理人が法廷で声明を発表する権利を有することとなったのであった。ポビライティスは、この裁判が、被害者にとって癒しとなることを望んだ 。[v]

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『インディアナポリス・スター』による調査報告の記事が、何十年もつづいた性虐待を終わらせ、ナサールの判決を導いた。記事報道からずっと後になってからであったが、いくつかのメジャーな新聞により占領されているアメリカ報道界からも、そしてもちろん法廷からも、賞賛の声が上がった。[vi] 調査報告の共同執筆者である女性記者は言う。「結局のところ、公の場に出て、物語を共有してくれた女性たちがいなかったら、何も起こらなかったのです」

女性の暴力被害は世界共通の話題である。それはMe Too運動による被害体験の共有などでも明らかになった。そして被害体験の告白や共有が広がるにつれて、なおさら浮き彫りになるのが被害者への誹謗中傷である。告白したことで、脅迫を受けたり、身の危険にさらされることもある。初めの暴力被害よりも、もっとむごい暴力やハラスメントにつながることもある。被害体験を語ることで、さらに傷ついてしまうのは明らかだ。それでも告白する、被害について発言しようとする女性たちが確かに生まれてきている。そしてその声を聞こう、彼女たちを信じよう、と支える人たちも生まれてきている。

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ヘルシンキで開催される音楽フェス、フロー。2022年のプログラムを何気なく見ていたら、解散から20年以上を経て、近年ツアーを再開したビキニ・キルが大きく紹介されていた。ビキニ・キルの代表作、「レベル・ガール」は、女性への応援歌だ。

 

赤地葉子

・Rebel Girl, Bikini Kill

 

[i] The Punk Singer (2013) - Directed by Sini Anderson, produced by Anderson and Tamra Davis, a documentary film about Kathleen Hanna

[ii] IndyStar.12/9/2016 (orignally published) Former USA Gymnastics doctor accused of abuse. Tim Evans, Mark Aleisa, Marisa Kwiatkowski. https://eu.indystar.com/story/news/2016/09/12/former-usa-gymnastics-doctor-accused-abuse/89995734/

[iii] NYTimes 26/1/2018.  Rachael Denhollander: The Price I Paid for Taking On Larry Nassar.  By Rachael Denhollander. Opinion. https://www.nytimes.com/2018/01/26/opinion/sunday/larry-nassar-rachael-denhollander.html?searchResultPosition=1

[iv] The Guardian. 24/1/2018 Victim impact statements against Larry Nassar: 'I thought I was going to die' Tom Lutz.  https://www.theguardian.com/sport/2018/jan/24/victim-impact-statements-against-larry-nassar-i-thought-i-was-going-to-die 

[v] Huffpost 22/1/2019  The Women Who Built The Case That Brought Down Larry Nassar By Amanda Duberman https://www.huffpost.com/entry/andrea-munford-angela-povilaitis-larry-nassar_n_5c423848e4b0a8dbe1714daf 

[vi]  NYTimes  25/1/2018 Belatedly, The Indianapolis Star Gets Its Due for Gymnastics Investigation. Danile Victor.  https://www.nytimes.com/2018/01/25/business/media/indy-star-gymnastics-abuse.html 

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著者略歴

  1. 赤地 葉子

    1977年広島県生まれ。ハーバード大学パブリックヘルス大学院博士(国際保健)。東京大学学士(薬学)。世界保健機関(WHO)、グローバルファンド(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、他の大学・国連研究所やNGOに勤務し、途上国における母子保健の推進、家族計画、マラリア対策、保健システムの強化等に政策、研究、現地調査を通して取り組む。2017年より国際開発(主に保健・ジェンダー)、ヘルスケア関連の個人コンサルタントとして独立し、フィンランドでデンマーク人の夫と二人の子どもと暮らす。著書に『北欧から「生きやすい社会」を考える』(新曜社)。

    ■クラルス掲載記事
    連載「赤地葉子のつれづれロック」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/categories/950

    「一斉休校の陰で苦しむ子どもたち」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/5237

    「生きる力を育む包括的性(セクシュアリティ)教育」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/491

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