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赤地葉子のつれづれロック

第9回 男子の涙とホットピンク

ザ・キュアーの曲、「ボーイズ・ドント・クライ」。これは、恋人に対して、これくらいつれないことをしても許されるだろう、自分がいなければ相手はダメだろう、と見くびっていたら、ついにふられてしまった男子の歌だ。たとえ謝ったとしても、土下座したとしても、愛していると伝えたとしても、もう全てが遅すぎる。もう恋人は去ってしまって、取り返しがつかない。

「だから僕は笑い飛ばそうとする 嘘を散りばめて包み隠そうとする」

「そうなんだ笑い飛ばそうとする 僕の目に涙を隠して」

「だって男子は泣かない 男子は泣かない」

ザ・キュアーの要であるロバート・スミスは、彼が育った当時の英国では、男子は自分の感情をまわりに見せないことが推奨されていた、とインタビューで言っている。

男子はこうあるべき、女子はこうあるべき、という社会からのプレッシャー。それはいずれ、大人になった男子と女子をも、制約することになる。

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マイナス10℃くらいまで下がる日でも、フィンランドの保育園児は毎日午前と午後の二回、外で過ごし、ハーラリという宇宙飛行士のようなつなぎを着て、元気に公園で遊んでいる。長い冬でも特に寒さが厳しい間は、目と鼻と口だけが出せるように丸くくり抜かれた、頭巾のようなニットの帽子をすっぽりとかぶる。それで頭も首回りも温かく保たれる。

まだ保育園にいた頃、長男はある年、ホットピンクのニット帽を自分で選んだ。あまりにすごいピンクなので、父親も店で何度もこれでいいのかと確認したが、自信満々で頷き、その鮮やかな色のニット帽を意気揚々と毎日かぶっていた。保護者の迎えの時間帯になると、子どもたちは保育園近くの公園で遊ばされている。寒々しく、暗くて寂しい外の景色を背景に、鮮やかなベリーのように浮かび上がる丸いシルエット。それが、翌年になって、急にかぶるのを嫌がるようになった。

保育園の友達にどうしてそれをかぶるのかと聞かれると言う。女の子たちから、それはおかしい、女の子の色だと言われるそうだ。この帽子が好きでなくなったのかと聞くと、まだ好きだという。私も小さい頃は、大好きな仮面ライダーの靴をいつも履いていた。髪も短く、半ズボンばかり履いていて、男の子にいつも間違えられたけれども、別に誰からも咎められなかった。子どもにも自分の好きなものを選んで、まわりが何と言おうと気にしないで身に着けてほしかった。好きなら貫きなさいと意気込んで説得にかかる私に困る息子。状況をその場で読み取った夫は、もう傷みはじめているし、新しい帽子を買おうか、と息子を速やかに窮地から救った。長男は、このピンクの帽子を捨てないでね、取っておいてねと、私に念を押す。

その後、彼はホットピンクのニット帽を卒業して、上にポンポンのついている新しい青いニット帽を毎日迷いなくかぶった。ホットピンクの方を約束通り洗って乾かし、袋にしまいながら、もうあの鮮やかな木の実の頭は二度と見ることがないのだと悟る時、子どもの成長はどこか甘酸っぱかった。

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スウェーデンは、ジェンダーニュートラルな教育に冒険的に取り組むことで知られている。時には行き過ぎだと、近隣の国々や国内でも非難され、テレビ番組などで笑い者にされるほどだ。1990年代に保育園児をターゲットにした実験が発端だった。[i],[ii] そもそもは、ストイックで自分の感情を表に出さない、スウェーデンの「男らしさ」の規範を打ち破るという目的から始まったという。当時、その運動を先駆けていた者は、まわりからの風当たりが強かったと振り返る。そしてそれは予想していたことだとも言う。

「子どもたちを洗脳している、と批判されるけれど、子どもを育てるっていうことは洗脳することなんだ」

子どもたちが幼い頃から、自分の好きなサッカーチームの映像を見せたり応援歌を歌わせたりしている夫を見ると、そういう側面はあるよねと、納得する発言だ。

90年代の実験に参加していたスウェーデンの保育関係者は、ジェンダーの視点から自分のやっていることをビデオで見返してみて、驚いたと言う。女の子に向かっては、洗練された言葉や言い回しを使ったり、外へ出かけるときに男の子の着替えばかり手伝ったりと、女の子と男の子で自分たちの対応が違う。意識はしていなかったと言う。

ジェンダーニュートラルに特に取り組む保育園では、シンデレラや眠り姫などの本は置かず、代わりに二頭のキリンがワニの赤ちゃんを引き取る話の絵本が置かれているという。人の顔を描く時、女の子にだけまつ毛が描かれていると、男の子にはまつ毛がないのかと、子どもたちは聞かれる。男の子がキラキラとしたドレスを着て人形で遊んでも、誰も止めようとするものはいない。

このような教育の効果についての研究はまだ浅く、学者たちは一般にこのような試みを冷ややかに見守っているようだ。害はないだろうが、ナイーブすぎるのではないか、平等性について、もっと別の有効な資金の使い方があるのではという声もある。守られた保育園の環境から一歩外に出れば、広告塔やテレビ、目にするもの、耳にするものすべて、従来の、それぞれの性によって期待されている役割が、まだまだ強調されている。現実の世界から隔離した環境を保育園で作るのは意味があるのかという疑問も挙がる。それに対して男女平等の早期教育支持者たちは、どこからか意識改革は始まらなければいけない、と主張する。

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現在住んでいるフィンランドで、次男がまだ保育園児だった頃、一時期おままごとをよくしていると、保育園の先生から聞いた。いつも女の子数人と男の子数人で一緒に遊ぶらしいので、どの子がなんの役割なのか夫が次男に聞いていた。私と夫は、おままごとの家族でも母親、父親、子ども、という構成を想定していて、さてどうなっているのかと問いかける。誰がママなの? それで誰がパパ? すると、女の子二人が母親で、一人の男の子が赤ちゃんで、我が次男と彼の親友の男子は二匹の犬なんだと返ってきた。現代の家族像はなるほど変わりつつある。

当たり前と思い込んでいたことが、覆される。それが育児で、それが個人の成長につながり、それがゆくゆく社会の変化を起こしてゆくのかもしれない。

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私は、昔からザ・キュアーが苦手で、この曲もあまり好きではない。恋人を邪険に扱った挙句に去られたが、自分は平気なふりをして、涙をこらえている、なんて歌われても、勝手にそうしていれば、と思ってしまう。

毒のある恋愛の終焉を歌う曲であれば、グロリア・ゲイナーの「恋のサバイバル I will survive」のように、「今、出て行って あのドアへ歩いて出て行って ここにはもう来ないで  あなたが私のことを傷つけたのでしょう ボロボロになると思っていた? 倒れて死ぬと思っていた? まさか 私は切り抜けるわ」と歌われる方がずっと共感できるし、音楽的にもストレートで迫力があって爽快だ。

でもそう感じるのは、自分が、弱さを見せるな、とか、感情を殺せ、と社会に言われ続けながら育てられなかったからなのかもしれない。自分の特権を当たり前のように享受し、それゆえの鈍感と無知から、ひょっとしたら私はザ・キュアーのこの曲の哀愁が分からないのかもしれない。

デンマーク人の父親と一緒に応援し、息子たちが尊敬するデンマーク代表のサッカー選手たちは、辛いときでも嬉しいときでもテレビでよく泣いている。ちょっと驚いてしまうと同時に、母親としてはありがたくも思う。そのような時代に息子たちが成長していることを認識しているうえで、私は油断して、安堵しながらこの曲を聴いてしまっているのかもしれない。

自分の感情を大切にして、向き合って、素直に出していいんだよ。ずっとそうしていいんだよ。愛する人やかけがえのないものを見つけることができたら、自分の一番弱いところを見せていいんだよ。

そんな風に変わりつつある社会の声を聞きながら、男子も女子も共にこれから育っていくのだろうか。そしていつか、ホットピンクをきれいな色だと感じる男の子が、それを堂々と身につけても全く違和感がないように、なるのだろうか。

赤地葉子

・Boys Don't Cry, The Cure  

[i] BBC News. 8/7/ 2011. Cordelia Hebblethwaite. Sweden´s ´gender-neutral´ pre-school. https://www.bbc.com/news/world-europe-14038419 

[ii] NYTimes 24/3/2018 Ellen Barry. In Sweden´s  Preschools, Boys Learn to Dance and Girls Learn to Yell. https://www.nytimes.com/2018/03/24/world/europe/sweden-gender-neutral-preschools.html

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著者略歴

  1. 赤地 葉子

    1977年広島県生まれ。ハーバード大学パブリックヘルス大学院博士(国際保健)。東京大学学士(薬学)。世界保健機関(WHO)、グローバルファンド(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、他の大学・国連研究所やNGOに勤務し、途上国における母子保健の推進、家族計画、マラリア対策、保健システムの強化等に政策、研究、現地調査を通して取り組む。2017年より国際開発(主に保健・ジェンダー)、ヘルスケア関連の個人コンサルタントとして独立し、フィンランドでデンマーク人の夫と二人の子どもと暮らす。著書に『北欧から「生きやすい社会」を考える』(新曜社)。

    ■クラルス掲載記事
    連載「赤地葉子のつれづれロック」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/categories/950

    「一斉休校の陰で苦しむ子どもたち」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/5237

    「生きる力を育む包括的性(セクシュアリティ)教育」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/491

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