第10回 流れ星と人工衛星
素っ気なく、短くて、粗い、ビリー・ブラッグの曲、「ニュー・イングランド」。ギターとボーカルの音が、冷えて澄み切った夜空に響くようだ。彼は、甘さ抜きで、若者の恋を歌う。
「世界を変えたいのではない、新しい英国を探しているのでもない、ただ新しい恋人を探しているだけさ」
「君を手放すことは悔やまないけれど、君に別れを伝えることは悲しく思うよ」
若い頃の恋愛は、相手を分かっていなかったり、全く見当違いだったり、残酷だったり、妄想に過ぎなかったり、自傷行為だったり、相当迷走している。少なくとも私の場合はそうだった。
おまけにそれぞれが自分の夢を追おうとしていて、その途中で全然違う方向へ向かっていた者同士が衝突するような状況だ。その場でしばらくお互いクルクルと回ったりする。その後に、相手に合わせて軌道修正したり、もしくは完全な方向転換をしたり、はたまた何事もなかったかのように、でも微妙に速度を落としながら、元のとおりにお互い離れ離れに進んでいったりする。
「僕は流れ星を二つ見た 願いをかけた でもそれはただの人工衛星だった 宇宙装置に願いをかけてはだめなのか ただただ君が、僕のことを気にかけてくれたらいいのにと願う」
過去の恋愛を忘れてしまいたい時期を経て、この年齢になると、聴いた歌や目にした風景や読んだ文章の一節から、若い頃の恋愛を懐かしく思い返す。真っ只中にいた頃には分からなかったことが、くっきりと浮き上がってきたりする。
どの恋がかけがえのないものだったのかに改めて気づく。
その恋愛が過去にあったから、やっぱり生きていてよかったな、と思わせてくれることもある。世の中で起こっていることにやりきれない気持ちになったとき、毎日の生活にとても疲れてしまったとき、先行きに希望が見えなくなるとき、そしてきっと将来、今まで経験したことのないほどの辛い出来事に向き合わなくてはならないとき、そういうときに、私はふと思い返すのだと思う。
後悔、とは違う。年月が巻き戻せないように、もう絶対に取り返しはつかない。それぞれ別の人生を歩んだ。相手が元気でいること、幸せでいることを願うことしかできない。だからこそ、今ようやく、心の奥深く保存していた包みを取り出して、懐かしむことができる。
若い頃にした良い恋愛はすごくすごくきれいなままで、流れ星が過ぎ去るようにはかない。まるでドラマみたいだね、とお互い笑ってしまったような恋愛。ハッピー・エンドにはならなかった。それでも楽しかったその恋のことを思い返すと、20年も経った今、なぜか目が潤む。一番楽しかった恋愛が、一番泣かせられる恋愛になったりする。そしてそれはのちの人生に、いつまでも小さな煌めきをくれる。
そういう恋愛は、星になったのかもしれない。漆黒の宇宙のどこかで、永劫に流れている彗星のように。
赤地葉子
・New England, Billy Bragg