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赤地葉子のつれづれロック

第8回 アンチ・フェミニストとその他一般人

学生の時、いかにも利口そうで、落ち着いた、物静かなクラスメートがいた。近寄りがたくてあまり話したことがなかったのだが、ひょんなことから、ウォン・カーウァイの映画が好きという共通点を見つけ、あの俳優やシーンが良いとか、サウンドトラックや香港の話などで盛り上がった。

香港旅行のお土産に、彼から月餅とフェイ・ウォンのCDをもらった。ザ・クランベリーズの「ドリームス」のカバー曲、「夢中人」が入っていた。映画「恋する惑星」の主題歌だ。私にはドロレス・オリオーダンの声は痛々しすぎるのか、自分には理解できない広東語で歌われるこのバージョンの方が聴きやすい。濃い霧のような夢の中を漂っている感じが好きだ。

ウォン・カーウァイの映画のことしか話したことがなかった彼が、ある日実習室で隣り合わせになった時、シャープな眼差しで私を見て、「アカチさんは、フェミニストですか?」と聞いてきた。唐突な質問に、まるであなたはカルト宗教か過激派の政党に属しているのですか、とそんなふうに問われている気がして、私は一瞬言葉を失った。

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そんな昔のエピソードを、まだ覚えているんだ、とある晩、お茶を飲みながら夫に話した。

「日本のフェミニスト同士の論争とか、若かった頃の私には内容も目的もやり方も理解できなくて、関心が持てなかった。共感できないから自分とは関係ないと思っていた。女性として、これはおかしいとか、怒りを感じることが当然あっても、フェミニストのレンズですべてを見ることには限界がある気がする」

「『フェミニズム』みたいに “ism”とつく言葉自体、良くないと聞いたことがある」と彼は答えた。

辞書によると、“ism” というのは「独特の実践、システム、哲学、通常は政治的イデオロギーもしくは芸術運動」を意味する、とある。そして確かに、racism(人種差別)、 sexism (性差別)、heterosexism / homophobia(異性差別/同性愛嫌悪)、 ageism( 年齢主義)classism (階級主義)、Fascism (ファシズム)、Nazism(ナチズム)と、よく耳にするこれらの“ism”のつく言葉は、その同列には並びたくないものだろう。

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古今東西の二、三百篇の詩を集めた本を、アメリカの幼馴染がクリスマスに日本へ送ってくれた。[i] これも学生時代のことだった。折に触れて目を通していくうちに、いくつかの魅かれる詩の作者が、みんな同じであることに気がついた。Anna Swirとある。ポーランド人の詩人、アンナ・スワーは、「フェミニスト」の詩人というレッテルを貼られていたらしい。彼女の詩を英訳し、より広く世界に紹介したポーランド人の詩人、チェスワフ・ミウォシュによると、彼女の作品をポーランドで広めようと努力しても、そのレッテルが邪魔をし、苦労した、ということだ。[ii]

ナチス占領下、レジスタンス運動に身を投じ、ワルシャワ蜂起では、仮設病院で軍事看護師を勤めた。爆撃で炎となった街をさまよい、逮捕され、死刑を宣告されながら、刑の執行を一時間待った後に免れた――悲惨な戦争を潜り抜けたからこそなのだろうか、彼女は肉体、性、官能、老いを詠う。肌で、体で感じられるものを、とても近くに、確かに信じられるものを、表現する。生きることは結局、生身の体を通してできること。肌と肉体は、戦禍にも政治にも思想にも理論にも関係なく、リアルだ。正直だ。そこに喜びがあり、悲しみがあり、苦しみがある。

一方でスワーは、四十年間極貧の中、絵を描きつづけ、一夜の空襲で作品すべてを燃やされ、次の日からまた筆をとって描きはじめた父親のことを書く。亡くなった絵描きの父のシャツを最後に洗う前にその匂いを嗅いだことを。軍事看護師として働きながら、死が間近に迫っている若い兵士に向けて、彼が安心し、微笑むために聞かせた最後の言葉についても書いた。一人の人間が自分の人生を生きて残した貴い、美しい詩だ。それに女性も男性もない。

「フェミニストの詩人」というレッテルを貼って、それをあたかも偏狭な、取扱注意の部類に属させ、片隅に押しやることで、その詩の価値を、彼女の価値を低めようとしたのは誰なのだろう。作品はありのままの姿なのに、貼られたレッテルによって色眼鏡で評価されるとは。誰がそのように押しやり、押しやることで安心したのだろうか。そんなレッテルを貼られてしまったがために、もし英語に訳されることがなかったなら、彼女の詩に、あやうく出会えないところだった。

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スワーは誰にどう評価されようと気にせずに書きつづけ、満ち足りていたのだろう。でも、もう少しで出会えなかった、と考えるとざわざわとした気持ちになる。世の中にはどれだけ埋もれてしまった女性の作品、言葉があるのだろうか。そんなことをふと、「フェミニズム」という言葉について夫と話しながら、想っていた。

「それなら、『フェミニスト』というのをやめて、代わりに、世の中はすでに男女平等だ、このままでいいのだ、という人たちを『アンチ・フェミニスト』って呼べばいいんじゃない?  『アンチ・フェミニスト』という偏ったマイノリティーのイデオロギーと、その他一般の人っていう構成で」と、「その他一般の人」の夫は、淡々と結論を導いていた。

フェイ・ウォンの声を聴いていたら、ぶっ飛んでいて魅惑的な女性の出てくるウォン・カーウァイの初期の映画を久しぶりに観たくなった。

赤地葉子

・Faye Wong - Dreams, Chungking Express (1994)

 

[i] Milosz, C. (Editor) 1996. A Book of Luminous Things- An International Anthology of Poetry. A Harvest Book Harcourt, Inc. New York, New York.

[ii] Swir, A. 1996. Talking to My Body. Translated by Milosz, C. & Nathan, L. Copper Canyon Press. Port Townsend, Washington.

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著者略歴

  1. 赤地 葉子

    1977年広島県生まれ。ハーバード大学パブリックヘルス大学院博士(国際保健)。東京大学学士(薬学)。世界保健機関(WHO)、グローバルファンド(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、他の大学・国連研究所やNGOに勤務し、途上国における母子保健の推進、家族計画、マラリア対策、保健システムの強化等に政策、研究、現地調査を通して取り組む。2017年より国際開発(主に保健・ジェンダー)、ヘルスケア関連の個人コンサルタントとして独立し、フィンランドでデンマーク人の夫と二人の子どもと暮らす。著書に『北欧から「生きやすい社会」を考える』(新曜社)。

    ■クラルス掲載記事
    連載「赤地葉子のつれづれロック」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/categories/950

    「一斉休校の陰で苦しむ子どもたち」
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    「生きる力を育む包括的性(セクシュアリティ)教育」
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