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赤地葉子のつれづれロック

第1回 あの頃女子高で読みたかった古典

半年前に改めてザ・クラッシュ(The Clash)を耳にしてから、一つのバンドに対してかつてない度合いで彼らの音楽にのめり込んだ。子どもたちが騒いでも気づかないほど大音量で聴いて、僕たちは喧嘩しているんだからイヤフォンを外せとわざわざ私の肩をたたいて知らせに来てくれたりした。夫を含めて周りの同世代は、ザ・クラッシュはティーンエイジャーのころにはまったよ、という人が多く、私は数十年遅れで反抗期の歌を貪っているらしい。私も10代の頃から聴くべきだったと嘆いたら、まあこの歳になってそんなに心が動かされる経験もめったにないのだから、と音楽に詳しい友人に慰められた。

ザ・クラッシュの「ステイ・フリー」(Stay Free)は、友情の歌だ。クラスメートも教師もつまらない、窮屈な学校生活。そこで気の合う友達ができ、二人でつるんで周りをからかい、夜遊びに喧嘩に繰り出す。人生のちょっとした違いでその後別々の道を歩むことになったけれど、今は二人とも大人になった。お前が牢屋から出たら、どこへ真っ先に向かうか知っているよ、そこで一杯おごるぜ、という感じの内容だ。

この曲を聴くと、高校時代に感じた閉塞感が蘇る。まだ大人ではなく、大人として認められない。もっと違う世界を見てみたい、もっと自分を試してみたい、とあがく一方で、足元を見下ろすと鎖でガチガチに繋がれているような感覚。募る不満や空虚な気持ち、それをどこかにぶつけたい有り余るエネルギー。

ミック・ジョーンズが友人へ投げかける最後のメッセージとそれに続いて昇華させるベースとギターの演奏がたまらなく鋭く美しくて、鬱屈した気持ちがスカッと晴れる。

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先日、ふとしたことがきっかけで、自分の高校時代の些細な一件を思い出した。

高校の国語の授業で、夏目漱石の『こころ』を初めて読んだ。日本の文豪の代表作ということで、期待が高かった。しかし、読んでみると、私には良さが分からず、一人で勝手に落胆した。感想文のようなものを書かなくてはいけなかった。おそらく、あの時の自分は、おおまかに以下のようなことを書き連ねたのだと思う。「うじうじと外面ばかり気にしながら生きる彼らの薄っぺらい人間関係についてとうとうと読まされ、うんざりした。二人の男性が恋する女性は、のっぺりした人形のようで、中身があるとすれば鈍感か、計算高いかのどちらかのような気がするが、描写が乏しかった。」

提出後に国語の先生と短い会話をした。彼女は、私が全く話を分かっておらず、文学をわかっていない、とおっしゃっていた。そのとおりで、私には理解できていなかった。小・中学校にかけて数年をアメリカで過ごしたためか、そもそも日本語も少しおかしい状態だった。その先生にとって、『こころ』は、おそらく深い意義と価値のある特別な作品だったのだろう。私がしようもない感想を書いてしまって、彼女を怒らせてしまったのだった。

あの時、自分はどうしてあのように落胆してしまったのか、先生に対しても、自分に対しても、言語化し、説明することはできなかった。それはもどかしかった。当たり障りのない感想文を適当に書いて提出することもできただろうに、何故あれほど否定的に反応したのだろうか。もう三〇年近くたってしまった今、振り返っている。

私は、自分の心にまっすぐに響く物語を読みたかったのだと思う。女子高校に通いながら、自分のこれからの生き方について考え始めていたその時期に、そんな作品に巡り会えることを渇望していたのではないか。その時は気づかなかったけれども、私は男性だけでなく、女性の書いたものを読みたかったのだった。自分には響かない、読みたくない話を、これが素晴らしい古典です、と言われながら、またもう一冊読まされるのが癪に障った。そしてどんなに素晴らしいとされている古典でも、私個人が嫌いだと言えるくらいのちっぽけな自由は残されていると思っていた。

あの頃の自分は、それではどのような物語を読みたかったのだろうか?

林芙美子の『放浪記』のような本だろうか。まとまりもなく、物語というよりも断片的な日記のかき集め。その端端から伝わる、彼女の迫真の経験と考え。開けた窓から漂う匂いで紛らわそうとする、どうしようもない空腹。貧しい行商人の娘として全国を漂い歩いた生い立ち。周りからの冷たい目。ふと芽生える他人との連帯感や友情。焦がれるような想いと無残な失恋。どん底にいても、自分にとって大切なことを守り続ける信念。風呂敷に持ち物をまとめてさっと旅に出てしまう自由。学び続けたい、書き続けたいという情熱。そんな生身の女性の言葉に触れられたら、勇気をもらえたのではないだろうか。

『苦海浄土』のような、すべてが詩のように書かれた、美しく悲しい一冊に少しでも触れられたら、どうだったろうか。石牟礼道子の水俣の方言で紡がれた、人々の心の深淵から聴き取られた、魂の声。水俣の穏やかな風景と代々続いていた人の海辺での営み。水俣病の背景、データ、記録、市民活動の経緯が理路整然と並行してつづられる。近代化、急成長、繁栄の陰で犠牲になった取り返しのつかないものを、丁寧に愛しんで一つずつ拾い、直視し、その重圧に押しつぶれずに、声と形を与えた彼女の慈悲。

そもそも日本の古典だけではなくて、大陸を超えてドリス・レッシングの『草は歌っている』のような物語はどうだろう。この本の主な登場人物に対しても、『こころ』のように私は魅力を感じたわけではなかった。主人公の女性は、どこか冷たく、人種差別を含め色々な偏見を持つ。彼女は幼少期に虐待され、残酷であった生家を出て、街で一人秘書として働き、ようやく自分の小さな心の平穏を掴んだようにみえた。しかし、友人と思っていた周りの既婚女性たちが、陰で自分の未婚について嘲笑しているのを聞いてしまったことがきっかけで、自分では望んでいなかったのに、周りに何もない、寂しく貧しい農場経営者のもとに嫁いでしまう。そしてそれは、八方塞がりの不幸の連鎖を生み、運命づけられた大惨事で終わる。乾燥した、そしてたんたんとした語り口につられて読み進めていくうちに、魅力を感じるわけではない主人公たちがどんどんと身近な存在となり、登場人物たちの感じる痛みや苦しみや望みに既視感を覚えるのだ。それが、遠いローデシア(現在のジンバブエ)の容赦ない自然の美しさと織り合っていく。

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高校生当時の自分の感受性はもう取り戻せない。年月は私も変えた。高校生の時にザ・クラッシュを聴いて今ほど響いたのか、知る由もない。同様に、これらの女性作家の本を実際に当時読んでも、今のような形で共鳴するとは限らないと思う。でも、カリキュラムに組み込まれていたら、何かが少し違ったかもしれない。いつの時代でも、流されずに自分の人生を強く、自由に生きようとした女性はいた。そんな当たり前のことを再確認できる作品に女子高生が触れることは、待ち受ける社会に出ていく前に、大切なことなのではないだろうか? 

どんなに無様で不器用にあがいても、周りに笑われたり蔑まれたりしても、そんなことは、どうでもいい。絶対に譲れない、自分が自分でありうるための生き方とは何だろう? 教師や批評家や教科書製作者による評価がどうであろうと、そのような根源的な質問に対して光をかざしてくれるようなその一冊に、その一曲に、若者が、若い女性が、何らかのきっかけで巡り会えることを願っている。

 

赤地葉子

・Stay Free, The Clash

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著者略歴

  1. 赤地 葉子

    1977年広島県生まれ。ハーバード大学パブリックヘルス大学院博士(国際保健)。東京大学学士(薬学)。世界保健機関(WHO)、グローバルファンド(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、他の大学・国連研究所やNGOに勤務し、途上国における母子保健の推進、家族計画、マラリア対策、保健システムの強化等に政策、研究、現地調査を通して取り組む。2017年より国際開発(主に保健・ジェンダー)、ヘルスケア関連の個人コンサルタントとして独立し、フィンランドでデンマーク人の夫と二人の子どもと暮らす。著書に『北欧から「生きやすい社会」を考える』(新曜社)。

    ■クラルス掲載記事
    連載「赤地葉子のつれづれロック」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/categories/950

    「一斉休校の陰で苦しむ子どもたち」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/5237

    「生きる力を育む包括的性(セクシュアリティ)教育」
    https://clarus.shin-yo-sha.co.jp/posts/491

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