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「道具と結果方法論」から見た学校臨床

第3回 話題提供2:「子どもの発達のための心理学理論」から「子どもの発達と心理学理論」へ(川俣智路)

 私は話題提供の一人の川俣と申します。今回は『革命のヴィゴツキー』に関する議論をみなさんとできる機会をもつことができました。とても嬉しく思っております。今回はみなさんとのライブセッションの題材となったり,ディスカッションのきっかけとなるような事例を提供したいと思っております。

  今日は、「「子どもの発達のための心理学理論」から「子どもの発達と心理学理論」」へ」というタイトルで一つの事例をみなさんに提供したいと思います。

  いま、さまざまな発達支援が学校現場で行われていて、その効果も確かめられていて、有効なのではないかと言われていると思います。たとえば心理学をベースにした発達支援と言えば、みなさんご存知のようにソーシャルスキルトレーニング(SST)や、適応的な行動を身につける支援も用いられますし、読み書きなどを含めて認知特性に基づくような支援もあると思います。

  こうした支援は、ある種の目的が絞られて、それに対して実践がされていくことが多いと思います。では、発達支援を心理学理論に基づいて行うことでバッチリと効果が出るかというと、実はそれほど単純なことではないのではないかと思うわけです。

  実際にやってみると、思っていたのとは違う方向に進んでうまくいかないことももちろんあると思いますし、逆に、思ってもみなかった方向に進んだけれども結果として子どもの生活の質が上がったり生活しやすくなって楽しくなったということもあると思います。

  もちろん逆もあります。発達支援を学校のなかに取り入れようとしたときに、よそゆきというか、よそよそしいというか、生活から乖離したような印象があって、結局期待しているような効果が得られないこともあると思います。

  そう考えると、発達支援の取り組みというのは、単に目的としていることが達成されているかどうか以外の要素で、いろいろなことが起こっていて、もっと多角的な視点で学校での発達支援を見ていく必要があるのではないかと私は考えています。

  今日は、心理学理論を基にして発達支援に取り組んだ結果、いろいろなことが起こった事例を紹介して、それをみなさんと一緒に話ができればと思います。

  今回のプレゼンの目的としては、結局、心理学理論はどのような役割を果たしているのかと。心理学理論、発達支援でもいいですが、それが学校現場で用いられるときに何が起こっているのかということについて検討できるような事例を提供したいと思います。

 

 今回は、括弧づきの「行動改善」を目的とした、Aさんへの働きかけについての事例です。これは、私がいくつか経験した事例をいろいろ思い浮かべながら作成した架空のものになりますが、今までの経験をふまえつつ作ったものなので、まったくリアリティがないものではないと思います。そうしたAさんの事例を今回は紹介したいと思います。

 Aさんは小学校中学年の児童で、教室内でのトラブルが多く、勉強している最中に教室から出てしまって慌てて先生が追いかけるといったことが多くある方です。授業中はほとんど消しゴムや鉛筆で手遊びをしていて、いわゆる先生が期待するようなノートを書いたり、問題を解いたり、話し合い活動をしたりといったことはほとんどできない。ではテストが全然できないかというとそうでもなく、意外と勉強はできる。なので、もしかすると塾かなにかでやっているのかもしれませんが、テストはほどほどできるので、決して能力が低いわけではなさそうだ。しかし、そう思うからこそ、なかなか勉強に取り組んでくれないAさんを歯がゆく思っているということもあります。それだけではなく、クラスメイトともけんかになってしまうことも多く、人間関係という面でも非常に苦労が多いAさんなんです。

  そこで、教員やスクールカウンセラーがなんとかAさんの適応をよくしたいと考えて、いくつかある問題行動の改善をしようと考えました。どのようにするかというと、こうした取り組みも多く見られると思いますが、ターゲットとなる問題行動を設定します。それを表か何かにして、毎朝、教室に入る前に、職員室の横の部屋などを使って、特別支援教育コーディネーターやスクールカウンセラーの先生が、ターゲットとなる問題行動をAさんと一緒に確認して、「これをしそうになったらこういうふうに回避したらいいね」といったように方法を確認するわけです。そして、それを意識しながら一日生活をしていきます。先生方はチェック表をみんなで共有していて、今日は○○の行動を避けましょう、○○のときに怒らないようにしましょうという問題行動をAさんがきちんと避けられているかをチェックするわけです。避けられていたなら○、ちょっと難しかったら△みたいなそういうチェックをしていくわけです。放課後にAさんと一緒にそれを振り返って、今日はできた、できなかった、ではどうしたらもっとできるようになるかということを話し合う。できているところにはシールを貼って、積み重ねが分かるようにする、という取り組みをしたわけです。このようにしてAさんに自分の問題行動を意識してもらい、改善してもらうという狙いで取り組みを始めました。

 

  ところが、Aさんがこれを始めたときはどうだったかというと、いつもと違うことが始まったというのと、教室に入る前に先生と話ができるということもあって、最初、興味はもったんですね。やってみるという感じでいちおう表の中身の話を聞いたりはしていたんですが、実際に問題行動が減ったかと思ったら元に戻ったり、かえって増えたり、あるいは運動会などの行事があるとその影響を受けてまた増えたり。実は取り組む前とあまり変わらなくて、期待していたような目覚ましい効果は見られなかったわけです。取り組む先生方もどうしたらこれを守らせられるだろうかと、必死に働きかけをしたり、声かけをしたりしていたのですがなかなかうまくいかなかったわけです。

  しかしあるとき転機が訪れます。それは何かというと、AさんのサポートをするB先生という人が現れました。これまでも、Aさんが教室から出て行ったりしたときについていって安全を確保するために、担任の先生以外の先生方がチームを組んでAさんに対応していました。そこにB先生という方が加わりました。

  B先生はとても若い先生で、Aさんにとってはとても気が合う先生だということが分かりました。AさんはBさんのことをとても気に入って、B先生もチェック表をもって今日の行動ができているかをチェックする。Aさんは、問題行動を減らそうと思ったのではなく、おそらく、B先生に褒められたいとか、B先生に頑張っているところを見てもらいたいとか、そういう意識をもって、B先生のために一生懸命問題行動リストで行動をコントロールしようと、頑張るようになったんですね。そうすると、どういうことが起こるかというと、教室の後ろの方にB先生が来たら、そのときまで全然やっていなかったのに、急にきちっと取り組み始めたりとか、次の時間はB先生に来てもらおうかなと担任の先生が言ったりすると、ぴっと気合いが入る。しかし、B先生がいないとか、今日は学校に来ない日だということが分かっていたりすると、やっぱり、なんとなく張りが出ないという感じになる。決して、それが定着するということではなかったんですけれど、とにかく、AさんはB先生のために頑張ろうと動き始めたわけです。

  そのようにして取り組んでいくうちに、Aさんの問題行動はB先生効果もあって減ってきた感じで落ち着いてきてはいる。しかし、チェック表だけを見ると、やっぱりコントロールできなくなってうまくいかなくなるときも結構ある。当初の目的通りに劇的に改善したかというとそうではなかったんです。B先生をはじめとして、担任の先生とか他の先生とか、クラスメイトなども、Aさんが一生懸命B先生のために問題行動しないようにしている、あるいはコントロールして褒めてもらおうとしている姿を見ているうちに、それが微笑ましい姿で、面白いというか、好意的に、みんながとらえられるようになってきた。

  このことによって、変化が生まれてくるわけです。つまり、B先生のために頑張っているAさんをみんなが応援している、そういう感じになってくるわけです。そうすると、だんだん、B先生が来る前はAさんはすごく困ったやつだと、みんなが少し距離を置いていたりとか、休み時間も一緒には遊んだりはしないし、一人で孤立していて、仲間に入れてもらおうとするんだけれど入れてもらえない、そういうことが多かったんです。

  そういう状態だった休み時間も少しずつ、みんなと遊んだりコミュニケーションをとれるようになってきた。授業中も、周りの人に声をかけられたりすると教室に戻ってきたりとか、勉強に取り組んだりするようになってきた。

  そうすると、相変わらず難しいときもあるんですが、先生方もB先生のために頑張っているよね、という感じになってきて、Aさんに対する周りの見方とか評価が少し変わってきたんです。

  そうすると、学級を飛び出る時間とか、休み時間に孤立してそのことに腹を立てて怒って叩いてしまうとか、給食のときに配膳でトラブルになって怒ってしまっていたような場面が減ってきて、周囲とかかわることができる時間が増えてくるわけです。

  問題行動は相変わらず、あるときもあればないときもある。そのような感じだったんですが、周りの評価としては「いやあ、Aさんはだいぶよくなったよね」という感じになってきて、先生方の負担感とか、クラスメイトの負担感とか、当初の認識は変わっていったということが起こったわけです。

  これが事例の全体の概要となってきます。

  いったい、これについて何が起こっていたんだろうかということをみなさんと考えたいですし、その考える手助けとして『革命のヴィゴツキー』が役に立つのではないかと思います。

 

  こうやって考えると、いわゆる心理学をベースにした行動改善のプログラムに取り組むという実施自体は、ターゲットとしている行動を一日しないで過ごすという面ではできたりできなかったりということで、なんとなくその遂行は曖昧になってしまったんです。

  ところが、普通ですと、それではやっぱり改善していない、Aさんはやっぱりだめだとなるところですが、B先生が加わってきたことによってその点があまり気にならなくなってきて、むしろそういうAさんのB先生の前での頑張りみたいなことをきっかけとしてクラスメイトの評価が変化したということが起こったと思うんです。

  どういうことかと言うと、たとえば、担任の先生が「聞いてください、今日Aさんが、ほかのクラスメイトとともにトランプをしていて、私が入らなくてもゲームができていたんです。いやあ、昔はゲームなんかルールが守れなくて全然できなかったのにそれがみんなと遊べるようになって本当によかったです」とおっしゃることがあった。すごく改善したというエピソードですが、このエピソードもよく考えてみると、プログラムがよくなったと言って喜んでいるわけではなくて、トランプができるようになったことを喜んでいるわけです。もちろんそれはいいことですし、成長を示していると思うんですが、そう考えると、目的を絞って実施した心理学理論がそのまま役に立ったかというとそれとは少し違うと思います。ただ全体としてこのコミュニティのなかではうまくいったという意味づけがされている。

  このような出来事をいったいどのように考えられるかということをみなさんと考えてみたいわけです。

  もう少し付け加えると、実は、次の学年に上がったときに、行動改善プログラムがよかったみたいだから引き続きやろうということで、学年や担任の先生方が少し入れ替わっても行動改善プログラムは継続するんですが、Aさんの状態は少し悪いと周りは評価するようになるんです。Aさん自身も教室を飛び出たりとか、そういうことが多くなってしまう。そこで、先生方は一生懸命に今日の一日の行動のリストはこれだからというふうにAさんに言うんですが、Aさんはやっぱりできたりできなかったり、できないことが多くなってきてしまう。

  そうすると、次の学年のときにはこれを守らなければということで一生懸命にプログラムをやろうとするんですが、結局それはうまくいかなくなって、このプログラムはどうだろうということになってしまう。もちろんこれは、プログラムそのものの運用の仕方の問題と片づけることもできるんですが、前の年に起きた、Aさんの評価が変わったのと非常に対照的で、このことについての意味づけもすごく大事かなと思います。

  いろいろと疑問が出てくるわけですね。そもそもAさんにとってのよい行動とか悪い行動とは何だったのか、Aさん自身にとってはどうだったのか、周りから見たとき、先生から見たときは何だったのかということも検討が必要だと思います。松嶋先生のご発表でも繰り返し触れられていますが、そもそも問題とは何だったのかということも考えなければならないだろうと思います。心理学に基づく発達支援のプログラムは、通常の場合ですと、私たちが計画をして、対象の子に実施して対象の子が変わることが目的となっています。しかし、この事例の場合は、変わったのは誰だったのだろうかということも、検討の余地があるのではないかと思っています。

  道具と結果方法論と学校臨床ということで、こういうことをみなさんと話ができればと思っています。

 (第4回は2月5日公開予定)

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著者略歴

  1. 川俣 智路

    北海道教育大学大学院教育学研究科准教授。修士(教育学)。専門は臨床心理学、教育心理学。学校における思春期の子どもたちの「適応」や「学びやすい」学習環境に関心がある。近著にEducating Adolescents Around the Globe: Becoming Who You Are in a World Full of Expectations (Cultural Psychology of Education Book 11)(共著、Springer、2020 年)、「学校における支援の視点」(分担執筆『そだちの科学』34、日本評論社、2020 年)、訳書に『革命のヴィゴツキー――もうひとつの「発達の最近接領域」理論』(共訳,新曜社,2020年)などがある。

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