MENU

「道具と結果方法論」から見た学校臨床

最終回 質疑応答(3)

伊藤       それではここから、チャットの方でご質問いただいたものに反応していきたいと思います。

 

伊藤修二さん(島根大学教職大学院)からのご質問

 

 covid-19以降、子どもの暮らしはどこに戻るのか75年前の戦後か。数か月前の直前へか。どちらの暮らしが、ZPDに似ているのか。

  揺れ動くZPDと、何も起こらず止まっている学級、子どもたちはどちらが居心地がよいのか。

  個体能力主義に居心地のよさを感じる人が多数派の場合、革命に挑戦するのは誰でしょうか。

  ZPDを創り出せるのは、少数派の当事者同士でしょうか。依存者同士、障碍者同士、弱者同士。または限りなく少数者に近づける(近似できる)多数者?

 

伊藤       『革命のヴィゴツキー』のなかで、面白いと思った議論の一つとして、歴史への適応と、社会への適応というものがあるんです。歴史とは変化そのものですので、変化に適応できるかということ。社会への適応とは、まさに社会化みたいなもので、ある決まった型にはまっていくということです。社会に適応できた人間というのは、メインストリームの社会におけるまさに多数派でしょう。しかし、COVID-19によってその人たちが適応したはずの社会そのものがガタガタになった。その結果、歴史的な変化が露わになったと思います。

  そのときに起こることは、結局のところ、逆転ですね。多数派が、適応できない人間になった。適応できないのは少数派だと言われていた、そういった社会的アイデンティティーが逆転するという現象が起きたように思います。

  そういう意味で言うと、ZPDはどこにでもあった。この3ヶ月間は、社会の発達が起こるチャンスだったと思うんです。多数派にしても少数派にしても。それはどこにでもあったんでしょうが、そういう出来事を発見して記述することも一つの研究であり、今までの話の流れでいけば研究者の役割の一つなのではないかと思いました。

 

矢原隆行さん(熊本大学)からのご質問

 

 お話を伺っていて、「挑戦できる場」を作ることを目指すのではなく、新たな場(の意味)を常に生み出し続けていくことが挑戦なのではないかと感じました(無論、それを可能にする場の雰囲気も大切でしょう)。そのとき、研究(研究者ではなく)はそこでいかなる働きを担い得るのか、それ自体も常に新たに生み出され続けていくのでしょうか。

 

松嶋       伊藤修二さんからのご質問についてですが、これまでの私のフィールドワークの研究や、今回話題にしていないことも含めてみると、学校の先生としてはちょっと変わった先生がわりと現れるんです。そういう人たちの声を拾っていくと、意外と学校が変わっていくことが多いように思います。そういう人たちを排除しないようにしていくと、場が変わっていくのではと思います。

  矢原さんからのご質問についてですが、常に進行形でというお話かなと思います。挑戦できる場をどんどん生み出し続けていくことが大事だろうという話になると思います。研究者の立場としてどうかというお話に沿えるかどうか分かりませんが、ホルツマンの研究所に、去年の3月に大勢で日本から行ったんです。ホルツマンがいるイーストサイドインスティチュートという組織は、日本にあるジャパンオールスターズという組織もそうですが、どんどん拡大していっているんです。そこで新しいスタッフをどんどん迎え入れる活動をしている。それから、ホルツマンの下にも、研究者というか、いろいろな実践家が多数入っているんです。ですが、決して全部が100%同意できるような人たちと組んでいるわけではないということも、だんだん分かってきた。あえて、「ホルツマン教」、「『道具と結果』教」のようになっていくことを、意図的に排除しているようです。そういう部分が、イーストサイドの実践そのものにあるように思いました。そのように努力しているという話を確かしていたと思います。

  元に戻ると、たとえばSSTにしても、あるものを用いてよい結果が出ると、その結果の「親分」みたいになって、それをどのようにして拡大していくかという話になるんです。そういうふうになると、対話的な関係が死んでしまうことになるように思います。常に新しい発想を入れていって、常に読み替えていくような作業を意図的に行わないと、結果的には、「道具と結果方法論」が「結果のための道具方法論」になっていく局面もあるのではと思いました。

 

 

伊藤       ありがとうございました。それでは最後にお二人から一言ずつお願いします。

 

松嶋       ありがとうございました。フロアのみなさんとのやりとりのなかで、研究者の役割といったことについても気づくことができました。「完成」ということを申し上げましたが、まさにやりとりのなかで「完成」したのではと思います。

 

川俣       ありがとうございました。やりとりを通して、自分がやってきたことに新しい意味づけができたと思います。これで何か成し遂げたというより、これからもこのような機会を作っていきたいと思いました。

 (了)

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 川俣 智路

    北海道教育大学大学院教育学研究科准教授。修士(教育学)。専門は臨床心理学、教育心理学。学校における思春期の子どもたちの「適応」や「学びやすい」学習環境に関心がある。近著にEducating Adolescents Around the Globe: Becoming Who You Are in a World Full of Expectations (Cultural Psychology of Education Book 11)(共著、Springer、2020 年)、「学校における支援の視点」(分担執筆『そだちの科学』34、日本評論社、2020 年)、訳書に『革命のヴィゴツキー――もうひとつの「発達の最近接領域」理論』(共訳,新曜社,2020年)などがある。

  2. 松嶋 秀明

    滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授。専門は臨床心理学。いわゆる「状況論」や「ナラティブアプローチ」を足がかりに,逸脱した子どもの立ち直りについて考えている。著書に『少年の「問題」/「問題」の少年:逸脱する少年が幸せになるということ』(新曜社、2019年)など。

  3. 伊藤 崇

    北海道大学大学院教育学研究院准教授。博士(心理学)。専門は言語発達論、発達心理学。文化歴史的アプローチに立ち、子どもの言語発達を考えている。著書に『大人につきあう子どもたち――子育てへの文化歴史的アプローチ』(共立出版、2020年)、『学びのエクササイズ 子どもの発達とことば』(ひつじ書房、2018年)、『ワードマップ 状況と活動の心理学――コンセプト・方法・実践』(共編著、新曜社、2012年)、訳書に『革命のヴィゴツキー――もうひとつの「発達の最近接領域」理論』(共訳、新曜社、2020年)がある。

  4. 岸 磨貴子

    明治大学国際日本学部 准教授。専門は教育工学。研究テーマは「多様性をつなげる教育、多様性がつながる学習環境デザイン」。中東(シリア、パレスチナ、トルコ)を中心に、難民など社会的脆弱な立場におかれる子どもの学習発達支援がライフワーク。難民に「なってしまった」ことで、母国でやっていたようにできなくなって、自信を失ったり、どうせ自分は……と未来への可能性を狭めてしまうことがある。この問題に対して、「ない」ではなく「ある」ことに目をむけ、難民たちが自分たちで活動をはじめていける「場のデザイン」としてパフォーマンス心理学を実践。共訳書に『パフォーマンス心理学――共生と発達のアート』(https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455390.html)、本書の姉妹本にあたる『「知らない」のパフォーマンスが未来を創る――知識偏重社会への警鐘』(ロイス・ホルツマン,著/岸磨貴子・石田喜美・茂呂雄二,編訳/ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/book/b541244.html)がある。今回は、グラフィックレコーダーとして参加。

関連書籍

閉じる