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ツバメのかえるところーーはじめて出会う「部落問題」

第2回 部落問題と出会うこと

               
1 歴史の教科書で出会ってる
「若い人は、部落問題なんて知らないのでは?」というセリフをしばしば聞きます。「だから、そっとしておけば、そのうちなくなるよ」とセットになっていたりします。アンケートの自由回答でも定番の記述と言えるでしょう。
 でも、若い人ほど部落問題を知らないと言えるのでしょうか? 私は必ずしもそうとは言えないと考えます。ある意味、若い人のほうが部落問題を知っているとさえ言えます。なぜなら、若い人たちはちゃんと学校の教科書で部落問題に出会っているからです。
 たしかに「部落問題」という単語はあまり出てきませんし歴史的なことがメインですが、江戸時代の身分制度の話は歴史の授業で習ってるし、「水平社も知ってるよ!」というのが、いまの10代、20代の感覚です。歴史の授業をきっかけにして、現代の部落問題の話題につなげている先生方もおられるようです。
 他にも、道徳の時間や総合学習で学んだという人もいます。意外な科目では「音楽の時間」という人にも出会いました。和太鼓を使った授業で、部落の産業とされる皮革産業とつなげて部落問題を学んだそうです。
 では、いまの中学生たちが学校で習っている内容は、どんなものでしょうか。例をあげてみましょう。まず、河原者と呼ばれた人々がいて、芸能や造園という日本の伝統文化の担い手であったこと。江戸時代に身分制度があり、被差別の身分がおかれていたこと。杉田玄白らが『解体新書』を翻訳するにあたり、実際の腑分けでえた(皮田)身分の老人によるレクチャーがあったこと。被差別の身分の人々からの抵抗としての「渋染一揆」。大正時代に、当事者による解放運動である「水平社」が生まれたこと。島崎藤村の小説『破戒』、といったことです。
 けっこう学んでいるんです。そして歴史の教科書は、研究が進むとそれに沿って内容が変わっていきます。1980年代に小・中学生だった人と、2010年代にその年齢だった人では、習っている内容が違います。
 話がすこし逸れますが、例えば、世界遺産になった百舌鳥(もず)・古市古墳群。そのメインの古墳の呼び名も、ある年齢以上の人は「仁徳天皇陵」と習っています。大人がそのように言うと、子どもたちからは「ふっるー!いまは大山(大仙)古墳っていうんやで!」「仁徳天皇陵には『伝(でん)』ってつけるねんで!」とツッコミを受けます。
 部落問題でも似たようなことが起こっています。ある年齢より上の人に聞くと、部落問題の歴史について、このように教えてくれる可能性が高いです。「江戸時代、権力者はひとびとの不満をそらすために、士農工商の下に『えた、ひにん』という身分を作って、人の嫌がる仕事を押しつけた」と。
 いまは、そんなふうに習っていないですよね。「士農工商」ではなくて「武士と町人・百姓」と習ったのではないでしょうか。また、差別される身分については、上下関係で説明しません。下に置くというよりは、除け者にするという感じでしょうか。
 もうひとつあります。ひとびとの不満をそらすために権力が被差別身分を作ったという説明の仕方を「政治起源説」と呼びます。かつてはそれが「正解」とされていた時期もあるのですが、いまではそのように教えていません。いきなり差別される身分を作ります、さあ差別しましょうと言われても、だれも納得しないですよね。もともと避けられていたり「私たちとは違う」とみられていた人がいて、じわじわと「差別される身分」を固定させていった、というのがいまの理解です。
 というわけで、誰かが「部落っちゅうのはな、士、農、工、商の下にな、不満を……」と言ったら、「ふっるーい! いま、教科書にそんなこと書いてないよ!」と教えてあげましょう。そう、若い人が年長の人に部落問題を教えてあげられるのです。若い人は部落問題を知らないというのは、ある種の思い込みではないでしょうか。
 
2 部落出身の人に出会ってない?
 しかし部落の歴史をしっかり学んでいるとはいうものの、現実の部落問題についてはどうでしょうか。
 人権問題全般については、今の若者はかなり身近な問題と捉えているようです。例えば、障害のある子と一緒に勉強したり職場体験などで福祉施設に行ったりしているので、障害者の人権についての理解はすすんでいると思います。また、クラスメイトに外国にルーツのある子どもがいるのも当たり前という状況です。中高生ぐらいになると、同性のカップルやトランスジェンダーの友達が身近にいるっていう子も少なくありません。
 部落問題はどうでしょう。残念ながら、歴史で学んだ内容と身近なことがつながりにくいのです。「部落出身の人には会ったことない」、「部落ってどこにあるの」という人が多いのです。おそらく、身近にまったくいないわけではないと思うし、メディアでよく知っている人のなかにも部落出身の人はいると思います。
 でも「出会ったことないよ?」という人が多いのは、ひとつには、言わなければ部落出身とわからないから、という理由があります。介助を必要とするわけでも、名前が違うわけでもないからです(ちなみに、障害にも「見えない障害」や「見えにくい軽度の障害」もありますし、外国にルーツがある人でも日本の名前を持っている人はたくさんいますので、言われなければわからないという特徴は、部落問題に限ったことではありません)。
 出会えていないもうひとつの理由は、差別と関係します。部落出身であることや部落に住んでいることを伝えると、差別をする人がいるかもしれないからです。そのため、誰にでも出身を気軽に伝えることができないのです。だから、身近に部落の人がいないようにみえてしまうわけです。学校の授業でも、差別につながるといけないので具体的に部落の場所を言わないという教え方をします。
 とはいえ、みんなが「隠している」のかというと、必ずしもそうとは限りません。出身を名乗って仕事をしている人もいるし、部落だということをベースに街づくりをしている地域もあります。学校と地元で話し合って、地名を出して教えている学校もあります。
  また、隠しているわけでも名乗っているわけでもない、どちらでもない人もたくさんいます。私はインタビューで「出身を人に言うか」と尋ねることがあるのですが、語り手にとっては、そういう質問自体、変な感じがするみたいです。
 例えば、話の流れやその場の雰囲気、相手などによって、言うかどうかはケースバイケースで決めるので、「人に言いますか、言いませんか」という二者択一では答えられないそうです。そう言われてみたら、私たちだって人に何かをうちあけるとき、その都度、言うかどうか決めますよね(とっさに言っちゃったとか、言おうと思ったけど言えなかったなど、自分の意思で決めたわけじゃない場合もありますよね)。
 また、日常生活のなかで「部落出身です」と人に伝える機会って、実はあんまりないんだそうです。ある男性はこんなふうに説明してくれました。趣味について語るときとそんなに変わらないと。たまたま誰かと話をしていて、サッカーの話題になったら「俺、サッカー好きやねん」と言うのは自然な流れです。でも、サッカーや趣味の話題じゃないときに、いきなりサッカー好きですって言ったら「突然どうしたの?」となるだろうと言います。部落問題が話題になったら「俺、部落やねん」とさらっと言うと思うけど、日常生活でそんな機会、めったにないよと話してくれました。
 一方、誰にも言わないと決めている人もいるでしょう。安心ができるまでは言わないと、警戒心をもって暮らしている人もいるはずです。それは、その人に勇気がないんじゃなくて、言えなくさせている社会の状況があるからですよね。また、言わないのは「言えない」んじゃなくて、こんな世の中でうまく生きて行くためのひとつの方法だと選んでやっている人もいると思います。
 前の回にも書きましたが、「もう部落問題なんじゃない?」とか「部落って、やばいんだって!」みたいな話が出てくると、出身を言ってない人は「そうじゃないのに!言えないけど!」って、もどかしい思いや苦しい気持ちで黙って聞いていることがあるのです。
 このような「言う/言わない」問題は、この連載でも繰り返し考えていきたいと思います。そして、読者であるあなたが「この人は部落問題のこと理解している。この人になら出身を伝えてもいいかも」と思ってもらえるような人になってほしいなと思いますし、気軽に言えるような社会(つまり差別がない社会)を目指す人になってほしいと思います。
 
3 自分で言うこと(カミングアウト)とばらすこと(アウティング)は違う!
 ここまでは、部落出身の人が自分の出身について誰かに話すかどうかについての話をしてきました。部落出身の人が自分のことについて話すことを指して、これまでは「名乗る」とか「立場を宣言する」「うちあける」といった言葉で表現されてきました。そして、最近は「カミングアウト」(★1)という言葉も使われます。
 一方で、誰かの出身を、他人が話してしまうことがあります。「身元を暴く・ばらす」とか「アウティング」(★2)という言葉を聞いたことがありますか? これは、ある一定の個人的な情報を、本人の了承なく、勝手に第三者に言ってしまうことです。
 例えば、ある人が「私は部落出身なんだ」と、友達に伝えたとします。いままで誰にも言わなかったけど、信頼する友人だけに伝えようと思ったのです。ところが、うちあけを聞いた友人は、本人の了承なしにまた別の知人に喋ってしまったというような場合があります。
 「ばらす意図はないんだし、本人が言ってたことなんだからいいんじゃない?」、「3人いるときにその話題がでるだろうから、先に言っておいてあげたほうが気まずくならないかもよ」、「聞いたことは黙ってられない」なんて声もあるかもしれません。
 しかし、自分から人に伝えるのと、他人が勝手に調べたり暴露したりすることは、同じではありません。伝える範囲やタイミングを決めるのは「私」。自分の情報をコントロールするのは、なのです。
 そして個人の大切な情報のなかには、そのなかでもとくに配慮が必要だと考えられているものがあります。社会的マイノリティであることや、障害があること、病気の経験、犯罪被害、犯罪加害など、差別偏見や不利益が生じるかもしれないものです★3
 私たちはふだんの生活のなかで、見聞きしたことを話題にしてコミュニケーションをとって暮らしているので、ついつい噂話なんかもしてしまいます。でも、「友達のメールアドレスを教えてって言われ
たけど、本人に了解なく言っちゃダメだよね?」とか「あの子には持病がある。これって偏見につながる情報だよね?」といったことを、ちゃんと認識して暮らさないといけないと思います。
「そうはいっても、つい喋っちゃうかも。なかなか難しいよね」と感じる人も少なくないと思います。
 では、こんな例はどうでしょうか。ある女性がいたとします。彼女には息子がいて、彼に恋人ができました。女性は、その恋人が息子の結婚相手に「ふさわしいかどうか」を知りたいと思っていました。たまたま彼女の知り合いに、息子の恋人の近所に住んでいる人がいました。知人は「そこの地域は部落じゃないかな」とつぶやきました。母親は部落に偏見を持っていて、恋人は息子の結婚相手にふさわしくないと一方的に判断しました。そして、息子に彼女と別れなさいと命令しました。
 結婚を決めるのは本人同士です(と、憲法にも書いてあります)。しかし相手が部落出身であることを理由に、親や周囲が結婚に反対する場合があります。このような問題を、部落出身者に対する結婚差別問題と呼んでいます。
 この章の冒頭にあげた例も、本人の了承なしで別の人にばらしているという意味では、結婚差別の例と同じことがおこなわれています。勝手に人にばらすことが、その人の人生を大きく変えてしまうことがありうるのです。
「最初の例は悪意なく言ってるけど、後の例では差別をそそのかしてる雰囲気あるから、そこに差がある」という反論もできます。しかし、悪意があった/なかったで分けることができるでしょうか。差別やハラスメントの問題は、被害を受けた本人がどう感じるかが基本になってきます。悪意がなくてしたことが、重大な加害になってしまうことだってあるのです。
 ここで、もう一度、おさらいしておきましょう。個人の情報、とくに差別・偏見や不利益につながりそうな情報を誰に伝えるかは、本人が決めることです。
 
***
 
 今回は、歴史の授業の内容から、出身を言うこと・言わないこと、他人が勝手にばらしちゃうことと、話がいろんな方向に展開していきました。
 部落問題を語るとき、あるいは社会的マイノリティについて語るとき、歴史のことを語ったら、次は現代はどうかという話をしないといけなくなるし、現代において「歴史の授業などで地名を言う/言わない」が問題になっているという話をすれば、本人が言う(カミングアウト)と他人がばらす(アウティング)は違うよということも付け加えておかなければなりません。
 話があっちこっちに飛ぶようにみえるのは、前回も書いたとおり、部落問題が長い歴史のなかで起こっていることであり、なおかつ現代社会の生きた問題だからです。「どうもすっきり答えの出ない連載だな」という感想を持たれるかもしれませんが、あいまいさや疑問を抱えたまま学び続けること、これが社会問題を考えるということなのです。もやもやしながら、おつきあいいただけるとうれしいです。
 今回も、もう少し学びたい人のために、インターネットサイトの紹介をします。文献は、気軽に読める本というよりは、部落の歴史をじっくりと学ぶためのものをラインナップしました。
 また、大人のひとは、中学校で習う歴史がどれぐらい変わったのかを知るために、これを機会に学び直しをしてみるのはいかがでしょうか。
 
インターネット・サイト:
①荻上チキ・Session-22
https://www.tbsradio.jp/382925
TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」では、2019年6月24日に「江戸時代の身分制度はピラミッドではなかった?? 見直しが進む、被差別部落の歴史を知る」という特集が放送されました。音声を聞くことができます。ゲストは、部落史研究者の上杉聰さんと、山口県人権啓発センターの川口泰司さん。
 
②角岡伸彦「五十の手習い フリーライター奮戦&炎上記」
https://kadookanobuhiko.tumblr.com/post/186675291969/ふしぎな差別部落問題
部落問題に関する著作もたくさん書いておられるフリーライターの角岡伸彦さんのブログです。2019年7月31日の記事「ふしぎな差別・部落問題」は、フリーライターとして、また部落の当事者として受けたインタビューの内容を合体・再構成したものです。インターネットによって「言う/言わない」問題が新しい局面に入っていることが書かれています(このことについては、この連載でも扱っていきます)。
 
参考にした本と資料:
秋定嘉和・他『改訂版 人権の歴史同和教育指導の手引』(山川出版社、1997
上杉聰『これでわかった!部落の歴史ー私のダイガク講座』(解放出版社、2004)
上杉聰『これでなっとく!部落の歴史続・私のダイガク講座』(同上、2010)
個人情報保護委員会「個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン(通則編)」
(2016年11月、2019年1月一部改正)https://www.ppc.go.jp/files/pdf/190123_guidelines01.pdf
和田幸司『「士農工商」はどう教えられてきたか』(ミネルヴァ書房、2018)
 
 
 
注: 
★1 最近は単なる「告白」のことをカミングアウトという場合も多いけれど、本来、ゲイあるいはセクシュアルマイノリティの運動の文脈から出てきたので、本来的な使い方は、性的指向や性自認にかかわることに限られます。一般によく使われる言葉になっているので、カミングアウトという言葉は便利なのですが、筆者はできるだけ、部落問題の文脈で長年使われてきた表現を使おうと思います。しかし一方で、「出身を名乗る」とか「立場を宣言する」といった言葉は「言うのに勇気がいる」というイメージがあります。また「うちあける」という言葉には、「それまで隠していた」というニュアンスがあります。近年、さらっとさりげなく出身を伝える人もいるので、これらの重めの言葉に違和感を覚える人もいるかと思います。そのため、「伝える」という言葉を主に使っています。
 
★2 性的指向や性自認に関する暴露を「アウティング」といいますが、カミングアウトと同じく、近年、社会的マイノリティであることの暴露の意味で使われることが多くあります。
 
★3  個人情報保護法という法律をどこかで聞いたことがあると思います。個人情報をあつかう事業者(企業や団体)に対する法律です。個人情報の中でも、差別偏見その他の不利益につながるために特に配慮が必要なものを「要配慮個人情報」としています。その例として、次のようなものがあげられます。「人種、信条、社会的身分、病歴、犯罪の経歴、犯罪により害を被った事実、身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の個人情報保護委員会規則で定める心身の機能の障害があること、本人に対して医師その他医療に関連する職務に従事する者(次号において「医師等」 という。)により行われた疾病の予防及び早期発見のための健康診断その他の検査 (同号において「健康診断等」という。)の結果、本人を被疑者又は被告人として、逮捕、捜索、差押え、勾留、公訴の提起その他の 刑事事件に関する手続が行われたこと(犯罪の経歴を除く。)、本人を少年法(昭和23年法律第168号)第3条第1項に規定する少年又はその疑いのある者として、調査、観護の措置、審判、保護処分その他の少年の保護事件に関する手続が行われたこと」(個人情報保護委員会「個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン(通則編)」2016年11月、2019年一部改正)などです。
 
 
 

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著者略歴

  1. 齋藤 直子

    1973年生まれ。大阪市立大学人権問題研究センター特任准教授。博士(学術)。専門は、家族社会学と部落問題研究。主な著作に『結婚差別の社会学』(勁草書房、2017年)、『入門家族社会学』(共著、新泉社、2017)など。

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