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ツバメのかえるところーーはじめて出会う「部落問題」

第1回:ゆっくり学んでいきましょう

                                               
ある家族の会話
「ここは、昔、差別されていた地域なんだよ」。車で近所を走っていると、突然、お父さんがそんなことを言いました。お父さんは続けました。「今はもうそんな差別はないからね。お前は差別をしたらいけないよ」。10代、20代の若い人から、しばしば、こんな体験を聞くことがあります。(ところで、ここは、必ずしも「お父さん」である必要はないので、お母さんでもおばあちゃんでも先生でもいいので、だれか身近な大人に読み替えてもらってけっこうです)。
 これを読んで、何の話をしているのかわかった人もいると思います。「あ、部落問題ね」と。
 いっぽう、「どこそれ?何それ?」「昔、差別されてたってどういうこと?」とピンとこない人もいるかもしれません。
 部落問題とは、ごくごく簡単に言うと、江戸時代の身分制度のなかで被差別身分とされた人々がいて、その身分制度は明治のはじめに廃止されたけれども、それから現在までおよそ150年の間、現代的なかたちに変わりながら続いている問題、ということになります。(ただし、例外がたくさんあります。そこが部落問題を「スッキリ」とわかる問題じゃなくさせている部分があるのですが、それは人間の社会のこと、長い歴史のことだから仕方ありませんよね)。詳しくは、この連載で少しずつ説明していきますので、安心してくださいね。ひとまず、先に進みましょう。
 そして江戸時代の被差別身分の人が住んでいたと場所を「被差別部落」、あるいは被差別を省略して「部落」と呼びます(★1
 2016年には、国の法律ができました。「部落差別解消法」(★2)と言います。部落差別は今もあるよ、インターネットのせいで新しい形になってるよ、と書いてあります。
  では、お父さんはなぜ今も問題はあるよと言わずに、「昔、差別されていたところ」と説明したのでしょう。理由はいろいろあると思います。そのひとつの理由に、親心、つまり親が子を思う心があるのかなと想像します。
 自分の子どもの頃より、差別は「弱く」あるいは「少なく」なったとお父さんは感じていて、このまま差別は自然となくなっていくからね、ということを言いたいのかもしれません。
 また、「ここは差別されているところだよ」と「現在形」で教えてしまうことで、我が子がこの場所を差別的なまなざしで見てしまうことを避けようとしたのかもしれません。そこには、自分の子どもが差別するような人になってほしくないという願いが込められているのかもしれません。
 
「昔、差別されてたところ」?
 ここまでのお話を聞いてどう思いましたか? ひとまず、親の気持ちに寄り添って考えてみました。お父さんの判断に納得した人もいるでしょう。親の愛情を感じた人もいるでしょう。たしかにそういう部分はあると、私も思います。
 しかし、です。差別がなくなったと思っているのなら、そして子どもに差別してほしくないなら、そこが差別されていたところだとわざわざ言う必要はないですよね。そう考えてみると、「差別はもうないよ」以外にも伝えたかったことがあるんじゃないという気がしてきます。いつもは論理的なお父さんがどこかあいまいな表現を使うのを、なんだかおかしいと感じた人もいるかもしれません。
 お父さんがぼかした言い回しを使ったことで、「あ、ストレートに話題に出したらいけない話なんだな」というメッセージだと受け止める子もいるでしょう。そこから、部落問題に対して、どこか秘密めいた、おおっぴらに語ってはいけない問題なのだ、と黙ることを覚えてしまいます。事実、私がそうでした。
  別の視点から考えてみましょう。「昔、差別されてたところだよ」と言われた地域に住んでいる人にとっては、このお父さんの言葉はどう響くでしょうか。といっても、ひとつの地域に住んでいるからといって、その考え方は十人十色ですけれども。
 ある住民は「昔ほどひどくはなくなってきていると私も実感している。よい教え方だな」とお父さんの意見に賛成かもしれません。ある人は「昔、差別されていたっていう言い方は、微妙だな。今はないと言えるかなあ」とちょっと疑問に思うかもしれません。
「ここが差別されてきたという事実からスタートして、部落の外からたくさんの人が来てくれるような面白い街づくりをしてきたんだ。差別の歴史を隠すんじゃなくて、そのことをきっかけにつながっていきたいんだ」と、差別されていた・されているという話で終わってほしくない、という人もいるでしょう(実際に、とても面白い町おこしをしているところがたくさんあります)。反対に、「差別、差別と言わないでほしい。そっとしておいてほしい」と言う人もいるかもしれません。
 なかには、「ちょうど今、この地域に住んでいることで、恋人の親から、あなたとの結婚は許しませんって言われている。昔のことだと言われるだけで、とても胸が痛い。どうして本当とは違うことを言うの?」と、傷ついてしまう人もいるかもしれません。
 
ないことにされること
 最後の例について、もう少し考えてみましょう。存在を無視されたり、いないことにされたり、本当と違うことが本当とされるのは、とても辛いことですよね。みなさんもそれは、例えばいじめ問題を通じて、よく知ってると思います。
 差別はよくないことです。でも、よくないからといって隠したり黙ったりしたらいいのでしょうか。それとも隠すことにもいいことがあるのでしょうか。
 例えば、日本の社会のなかでは、実際にこんなことが言われています。
 「東京には部落問題ないよね?」「部落問題って昔のことでしょ? 今はもうないんじゃない?」。筆者である私は、つい最近も、このような言い方を聞きました(そのたびに、ああ、ほんとうにそんなこと言うんだなあと、思います)。
 それに対して、ないことにされるのはイヤだって言う人にもしばしば出会います。
 東京に住んでいるある女性は、「東京には部落問題がない」という言葉を聞くたびに、「部落の出身の私はここにいるよ!」と思うそうです。他にも、東京で暮らすご夫婦で「たぶん夫は部落出身で、そのことがわかるようなエピソードをそれとなく私に話してくれた。でも面と向かって話し合ったことはないです」という人もいました。
 おそらく全国には、部落の人であることを、周囲に伝えていたり、信頼できる人にだけ言っていたり、あるいは誰にも言っていなかったりする人が、それぞれたくさんいると考えられます。
 そしてその中には、さきほど書いたように、部落の出身であるということが理由で、結婚に反対されている人もいます。
 そういう人がいるということを知ると、昔のこととして今はないみたいに話すのは、ちょっと待ってって思いませんか。

ぼかした言い方の差別っぽさ
 もうすこし、考えを進めていきましょう。
 そういえば、部落のことをぼかして曖昧に話すのは、今にはじまったことじゃないかもしれません。むしろ、ほのめかすような言い方は、昔ながらの差別にも通じるところがあります。
 例えば、昔から(ここでいう昔は、大正でもあるし、昭和でも、平成でも、あてはまります)、「線路の向こうは行ったらあかん」「川の向こうの子と遊んではいけない」「あそこの校区には通わせたくないね」という言い方があります。
 直接、その地域の名前は言っていません。線路の向こうとか川の向こうとか、すこしぼかした言い方です。また、なぜ行ってはいけないのか、その理由も述べられていません。ただ、そこを避けなさいというアドバイスや命令だけを、子どもたちに伝えます(もちろん、大人がぼかした言い方をするのは、他にも理由があります。ものごとが複雑すぎて簡単に説明できなかったり、説明している大人自身も知識がないとき、あいまいなことを言ってしまうのです)。
 差別には、はっきりとするものと、こっそりとするものがあると思います。いじめでも、よく「陰湿ないじめ」という表現が使われますよね。
 そう考えると、ぼかした言い方というのは、どこか差別を感じさせるニュアンスを含んでいるんじゃないかなと、私は考えます。
 
部落問題、ゆっくり学んでいきましょう
 部落問題とは不思議な問題です(『ふしぎな部落問題』というタイトルの本があるぐらいです)。先に書いたように、江戸時代(もっとさかのぼれるという人もいます)の制度からきた問題ですが、明治に入るときにその制度はなくなって、さらにそこから150年も経っています。部落を避けようとする人も、「みんなが避けるから避ける」「なんかやばいらしいと聞いたことが」といったように、なぜ差別しているのか、している方もよくわかってないところがあります。あるいは、「差別する理由」は人によってバラバラだったりします。150年の日本社会の歴史のなかで、差別する理由はいろいろ付け加えられたりしたのです。
 社会の問題というのは、時間の経過とともに変化します。部落問題は、歴史が長いために、それで一言ですっきり説明がしにくいところがあります。それで、「わからない問題だ」「難しい問題だ」というイメージがあると思うのですが、ゆっくり考えればきっと大丈夫!
 さて、次回から、部落問題って何? っていう具体的な話に入っていきたいと思うのですが、このブログを読んで、早速、「部落問題を簡単に説明してるサイトないかな」「部落ってどこなん?」って思った人がいるのではないでしょうか。
 でも、ちょっと待ってください。ネットの情報は、玉石混交です。いま、インターネット上の差別が大問題になっています。上で述べた「部落差別解消法」ができたのも、ネットの情報があまりにもひどいからというのが大きな理由です。まったく部落問題を知らないまま、悪質なサイトにアクセスしてしまう、ということがたくさん起きています。
 なので、どうしても一足先に調べたいという方のために、おすすめのサイトや本を紹介して、第1回を終わりたいと思います。
 
インターネット・サイト
①人権情報ネットワーク「ふらっと」
https://www.jinken.ne.jp
部落問題に限らず、さまざまな人権問題についてのニュースや論考が読めます。
②東京都人権啓発センター
https://www.tokyo-jinken.or.jp 
こちらもさまざまな人権問題について学べます。都内で配布されている「TOKYO人権」のウェブ版も見ることができます。
③BURAKU HERITAGE
https://www.burakuheritage.com
「「部落」に関わる様々な立場のメンバーが、部落「問題」に限らず、人、文化、仕事、など部落に関係する様々な物事の情報発信を目的として運営している」というサイト。

きがるに読める本
①内田龍史編著『部落問題と向きあう若者たち』(解放出版社、2014年)
部落の若者へのインタビュー集。本を通じて、部落の若者に「出会う」ことができます。部落問題ほんとにあるの、部落の人に会ったことないっていう人に、読んでほしいなと思います。
②ひょうご部落解放・人権研究所編『はじめてみよう!これからの部落問題学習ーー小学校、中学校、高校のプログラム』(解放出版社、2017年)
小中高の授業のプログラム案の本なのですが、第1部の部落問題の解説のところがとてもコンパクトでよくまとまっているのでおすすめです。編者の名前に「兵庫」と入ってますが、内容は兵庫に限っていません。
③日之出の絵本制作実行委員会『おたまさんのおかいさん』(エルくらぶ、2002年)
絵本作家の長谷川義史さんがイラストを描いている絵本です。戦後まもない時代の大阪の被差別部落のお話です。巻末に解説の読み物がついています。
 
注:
★1 部落とはもともと集落の意味です。だから、被差別部落でなくても、自分たちの集落をさして「うちの部落」という言い方は全国にあります。差別されている+部落で「被差別部落」と名付けたわけです。でも、ややこしいことに、使われているうちに「被差別」が省略されていきました。そのため、単なる集落を指すときも、被差別部落を指すときも、いずれも「部落」という言い方になってしまいました。人が「部落」という言葉を使うとき、どちらの意味で使ってるのか考えながら聞かないといけないわけです。実は、被差別部落の呼び方は150年の間にも、ころころと変わりました。このような言い換えや省略の研究があるぐらいなのです。
★2 正式には、「部落差別の解消の推進に関する法律」
               
                              <連載第2回に続きます>
 

 

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著者略歴

  1. 齋藤 直子

    1973年生まれ。大阪市立大学人権問題研究センター特任准教授。博士(学術)。専門は、家族社会学と部落問題研究。主な著作に『結婚差別の社会学』(勁草書房、2017年)、『入門家族社会学』(共著、新泉社、2017)など。

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