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感染症モデルと社会 ――STS(科学技術社会論)への誘い

第2回 「生態学」として感染症モデルを眺める

科学の活動をめぐるさまざまなダイナミズム――生成や変容、あるいは固定――を社会科学の視点から明らかにするSTS(科学技術社会論)という研究領域がある。本連載では、新型コロナウィルス感染症の対策にも使われ議論を呼んだ「感染症数理モデル」をとりあげ、STSというレンズが何を映し出すのかを紹介する。

 

数理モデルのライバル・資源・環境

 前回、STSという研究領域について説明するとともに、筆者が日本と台湾で進めたインタビューでのこぼれ話を紹介した。『予測が作る社会』(山口・福島 編、東京大学出版会)に所収の論文には、感染症モデルに関するほかの具体的な事例や分析の詳細を記しているので、興味のある方はぜひそちらも参照してほしい。

 この研究をスタートした地点での筆者の問題関心は、「数理モデルが政策に活用される社会とそうでない社会があるとして、そこにどのような違いがあるのか」であった。数理モデルの応用が期待されているトピックは感染症のほかにもさまざまなものがある。たとえば、人口増減の予測や、災害状況での避難行動のシミュレーションなどである。科学者の側からすると、感染症課題は、上の二つと同様、数理モデルの応用が期待されているトピックのようだった。感染拡大のメカニズムを方程式であらわすことで、不確実な状況下であっても先の見込みをたてることができる。しかし、その知見を実際の課題解決に使うかどうかとなると話は簡単ではない。政策の意思決定場面になかなか導入されなかったり、されたとしても非難が寄せられやすかったりする。イギリスでは、口蹄疫という家畜に伝染する感染病が発生した際に数理モデルを使った意思決定がなされた。しかしこのとき感染拡大がなかなかおさまらない中でメディアを中心に数理モデルへの批判が高まっていった。こうした状況はコロナ禍の日本にも通ずるものである。

 社会が数理モデルを活用していくまでには、もちろん複雑なプロセスが含まれている。筆者の研究では数理モデルを生き物になぞらえることで、数理モデルの活用をめぐる複雑なプロセスをいくつかの局面に区分けしていった。具体的には、「モデルにはいかなるライバル・モデルがあるのか(モデルのライバル関係)」、あるいは「モデルの成長にはどのようなデータが必要なのか(モデルの資源)」、さらには、「モデルの意思決定はどこでどのように進むのか(モデルの社会環境)」である。

 三つのポイントにそって、感染症モデルと社会を眺めるとどうなるか。台湾では、感染症課題に関して数理モデルやシミュレーションが比較的活用されているようだ。その理由は、台湾の研究者が構築したモデルの方が、日本で構築された数理モデルよりも優れているのかもしれない(モデルのライバル性)。あるいは、台湾の数理モデルの方が、多くのデータを土台にできているのかもしれない(モデルの資源)。意思決定では、よりさまざまな要因があるだろう。たとえば、台湾の方が感染症の流行が社会問題化しやすく、敏感なのかもしれない。政策の関係者がモデルに好意的なのかもしれない(モデルの社会環境)。

 日本と台湾でわかりやすい違いが見られたのは「モデルの資源」と「モデルの社会環境」であった。たとえば、台湾ではいくつかの感染症については、患者の情報を含む十分なデータを研究者がすぐに使えるようになっている。また社会環境に関して、日本では関係する個人と個人のつながりが重視される意思決定のスタイルがうかがえた。感染症数理モデルの知見が自治体のワクチン対策に活用されたケースでも、実は研究者と自治体関係者との信頼関係をもとにしていたエピソードもある。 

動的な世界

 とくに面白いと思うのは、データとモデルがお互いに影響を及ぼすという側面(モデルの資源)である。数理モデルの構築は実世界のデータを必要とする。そのため、他の機関からデータが提供されやすいトピックでモデルが発達する。たとえば、感染症にもさまざまな種別があり、個別の病気に応じた数理モデルが立てられるため、モデルは一律に成長していくわけではない(第1回も参照)。良いデータが入ることでモデルが改良され、より現実に近いものとなっていく。さらに、データからモデルが成長していく方向性だけではなく、逆の方向の影響関係もある。国内の事例で、自治体からのデータを揃えてもらえない場合の面白い話を聞いた。そのときは、日本全国のざっくりとしたモデルを作って推計値をまず見せることで、データを新たに提供してもらう戦略をとったという。

 このように、数理モデルやデータは静的に固定化されたものではなく、社会の中できわめて動的に変化する。とはいえまったくの偶然で物事が進んでいくかといえば、そうでもない。日本の数理モデルの活用が台湾と比較して抑えられているのは、それまでに蓄積された感染症にかかわる諸技術や機関、社会的慣習の組み合わせが影響していると見ることができる。現在進行中の技術と社会の関係性については、どちらかがどちらかを規定する決定論的な世界観でとらえることは難しく、かといって、まったくランダムな世界観でもとらえ切れない。生態学的な枠組みはSTSの問題を理解するためにちょうどよいレンズの一つなのだ。 

STSと概念

 科学の現場を取材し活動を言語化していく営みは、STSはじめ人文社会科学の領域に限られるものではない。たとえば、ドキュメンタリーやノンフィクションでは科学的発見の足跡をたどる良質な作品も多い。あるいは、科学者自身が自分の専門領域をわかりやすく解説し、その分野全体の広がりや、社会的な位置づけを提示することもある。こうした科学ドキュメンタリーと「社会科学としての科学の研究」との違いをあえて挙げるとすれば、目の前にみえている現象の言葉にしにくい異質性や違和感をどうにかして言語化するのがSTSの醍醐味なのだと思う。そして、この異質性への言語化として概念が用いられる。

 感染症課題からはやや離れるが、筆者の関心に近いところで、たとえば「リサーチ・テクノロジスト」という人びとがいる。彼・彼女らは科学の中でも実験機器や実験道具、手法などを作り出す専門家である。リサーチ・テクノロジストは既存の複数の学問分野間を横断し、さらには産業界と学術界との境界も越えて、通常の科学者コミュニティとは異なる見えにくいネットワーキングを作り出す性質を持つ(場合によっては、既存の学問分野から完全にスピンオフする)。「リサーチ・テクノロジスト」という対象を「概念」として切り出すことで、目の前の現象にある、うまく説明しにくい対象や課題に接近することができるのだ。

 これまでのSTS研究からは多くの概念が発信されてきた。概念は、それぞれの科学のトピックの中で散発的に作られるのではなく、社会科学の思想的な潮流とも結びついている。こうした点も刊行準備中の『ワードマップ 科学技術社会論(STS)(仮)』では議論している。STSで概念が鍵となるのは、社会科学の理論や概念でおさまりきらない「自然」の不確定性を捉えるために、新しい概念が道標となるからだろう。編者の一人である福島真人の言葉を借りれば、『「自然」は社会科学の中で居心地が悪い』。その扱いをめぐる格闘がSTS研究の構築してきた概念に込められている。

 感染症モデルを生態学的に眺める筆者の研究の枠組みは、STSとイノベーション論でジールズらが展開している議論などに影響を受けている注1。また、ダイナミズムに注目する集団力学研究をバックボーンに持つことも大きい。ただし、概念化は今のところゆるやかであり、先ほど述べたデータとモデルの関係性といった問題を今後深めていきたいとも考えている。コロナ禍のさなかにある今では、問題の立て方にも大きな変更が迫られるかもしれない。第3回では、STSでの「変わる問題設定」に触れてみたい。

 


注1 ジールズとケンプは、「技術、科学、規制、ユーザーの実践、市場、文化的な意味、インフラストラクチャー、生産、サプライネットワーク」といった構成要素からなる「社会―技術的構造」を提唱し、イノベーションの研究を進めている。

Geels, F. W., and Kemp, R. (2007). Dynamics in socio-technical systems: Typology of change processes and contrasting case studies. Technology in society, 29(4): 441-455.

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著者略歴

  1. 日比野 愛子

    (ひびの あいこ)科学の現場である実験室に関心を持ち、どのような人・モノ(道具)の動きが生じているのかをフィールドワーク等を通じて探究してきた。一見みえにくい「道具をつくる人々」に関心がある。感染症モデルのほかにはバイオテクノロジー関連領域への調査経験が長く、近年では地方部のローカルテクノロジーにも触れている。他方、科学をとりまく社会心理の側面として、培養肉など新興科学技術の意識調査を実施してきた。科学の外側、内側、どちらにしても、データをもとに探索的に物事を明らかにしていく姿勢を好む。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、博士(人間・環境学)。現、弘前大学人文社会科学部准教授。専門は、社会心理学、グループ・ダイナミックス(集団力学)、科学社会学。
    HP:http://www.fibonacci-ah.net/

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