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感染症モデルと社会 ――STS(科学技術社会論)への誘い

第1回 感染症数理モデルのSTS研究

科学の活動をめぐるさまざまなダイナミズム――生成や変容、あるいは固定――を社会科学の視点から明らかにするSTS(科学技術社会論)という研究領域がある。本連載では、新型コロナウィルス感染症の対策にも使われ議論を呼んだ「感染症数理モデル」をとりあげ、STSというレンズが何を映し出すのかを紹介する。

 

STSという研究領域

 AI(人工知能)や、自動運転技術、あるいは、ゲノム編集食品、人工食肉、自然エネルギーなど、私たちの社会には日々新しいテクノロジーが生まれていく。これらの新しいテクノロジーは、私たちの普段の生活や働き方に変化をもたらすだけではなく、自然や生命に対するそもそものイメージや、価値観を揺さぶるものである。他方、人口減少問題や地域活性化など一見「社会」のみにかかわるような課題であっても、実はその動きに科学・テクノロジーにかかわる要素が含まれていることもある。たとえば、急激な人口減少と並行して深刻化するインフラの老朽化は、テクノロジーがこれにどのように対応しているのかといった側面からも考察できる。あるいは、地域活動が盛んなコミュニティで情報技術や小型の自然エネルギー設備が新しいネットワーキングを支えているようなケースもある。現代の社会文化のダイナミズムを捉えるためには、テクノロジーの果たす役割を理解することはもはや必須である。

 科学の活動をめぐるダイナミズム――生成や変容、あるいは固定――を総体的に明らかにするSTS(科学技術社会論)という研究領域がある。対象が、科学技術と社会文化という広範な領域に及ぶため、STSは必然的に学際的な研究となる。社会学、政治学、経済学、文化人類学、組織論、イノベーション研究、社会心理学などの社会科学をはじめ、既存の人文社会科学の学問の多くがSTSに関係してくるといってよいだろう。STSは、欧米では学問的に大きな潮流となっており、これまでにも科学と社会のダイナミズムを包括的に捉える魅力的な概念が数多く生み出されてきた。そうした概念の数々を、現在刊行準備を進めている『ワードマップ 科学技術社会論(STS)』(仮題、新曜社)で紹介するので、楽しみにしていただきたい。

 さて、STSは、特定の具体的な科学やテクノロジーについての検討(事例研究)の形を取ることが多い。筆者は、きわめて偶然ながら、コロナ禍の前に感染症数理モデルと社会をテーマとしたSTS研究を日本と台湾で行ってきた(注1)。本稿では、筆者の研究を振り返り、STS研究の一つの姿を披露できれば幸いである。

コロナ禍前夜――直感で台湾へ

 感染症の数理モデルといえば、2020年の現在、新型コロナウィルス感染症との対応で大きな注目を集めている。日本においては、厚生労働省に設置された専門家会議のクラスター対策班の動向が連日のニュースで報じられた。とくにその中でも、メンバーの一人である西浦博教授が、数理モデルによる試算を駆使していたことで話題をさらっている。多くの人々が「SIRモデル」や「実行再生産数」といった専門用語に触れ、モデルの出す数値にたいする賞賛、あるいは批判の眼差しを向けている。感染症も数理モデルもつい数年前までどちらかといえばマイナーな話題であった。新型コロナウィルス感染症は、数理モデルを一躍スターの座に押し上げたといえる。

 見えない敵である感染症は、たいていの場合展開がどうなるかが読めない。そうした不確実な問題に対応するうえで多くの機関・人々が必要とする情報の一つは、どのように感染規模が広がっていくかであろう。数理モデルは、感染者数が今後どのように増加する可能性があるか、いくつかのシナリオにもとづいて試算を出すことができる。あるいは、ある政策を取った場合と取らなかった場合で、収束するまでの期間がどのように異なりうるのかを計算することもできる。数理モデルは政策の意思決定に対して有用な情報を提供すると思われる。しかし、実際にモデルが採用されるか否かは、社会的な文脈によって異なっているようだ。

 数理モデルは、どのように政策に活用されているのか、もし活用をはばむ要因があるとしたらそれは何か、という問いを立て、筆者は日本と台湾を比較しながらインタビューを進めたものである。当時の日本(2015~2018年)は、感染症対策に対して数理モデルの活用がなかなか進まないという問題意識のほうが強かった。実際、この問題に詳しい研究者の絶対数も少なく、インタビュー協力者を探すにも苦労するほどであった。一方、SARS(重症急性呼吸器症候群)のニュースが大きく報じられた台湾では学術の面でも政策の面でも感染症に関して何か異なる対策をとっているのではないかと、ぼんやりとした直感でインタビューに向かったものである。

行ってみなければわからない

 STS研究の魅力の一つには、現場の科学者から直接話を聞くことができる点が挙げられる。テクノロジーと社会にかかわるさまざまな情報を事前に文献で調べてみて、問題の構造やとりまく課題をある程度理解できたと思っていても、いざ実際に話を聞いてみると、こちらが思っていたストーリーと違うことがほとんどである。たとえば、感染症数理モデルの調査の際に筆者は勝手に2003年のSARSを念頭においていたが、台湾でさまざまな技術と社会のシステムが変わるきっかけとなったのは、2009年の新型インフルエンザであったことがわかった。新型インフルエンザの発生の際、ワクチンの必要備蓄数などに関する情報が当時の台湾にはなかった。こうした情報の不足をシミュレーションがカバーしたことから、数理モデルやシミュレーションは有用であるという認識へと一気に変わったのだという。今でこそ、台湾は数理モデルの活用や、データを集めるためのシステム作りが官学で進められている。しかし2009年以前は、数理モデルは役に立つものとは評価されず、モデルもその研究者も周辺的な立場におかれていたという話を聞いた。

 また、そもそも、同じ感染症だと思っていても、デング熱と新型インフルエンザ、SARSでは、伝染の仕組みが異なっており、適用しやすいモデルも異なることもわかった。たとえば、訪問した台湾の研究室では、デング熱については数理モデルの適用やシミュレーションを行っておらず、あくまで統計的な因果関係の分析のみを進めている。デング熱には、シミュレーションが適用されないのである。筆者の論稿(前掲)に詳しくは述べているが、デング熱のシミュレーションのため必要な情報――たとえば蚊が人を刺す頻度などの情報を得るのが難しいのだという。こうした問題は、ある程度は、事前の文献調査でわかる。とはいえ、研究者に直接話を聞くことによって、手法の使い分けにどの程度その実験室の戦略が関係しているのか、あるいは、(どの実験室にも共通する)困難が影響しているのか、などが徐々ににわかってくる。

 研究内容だけではなく、実験室の環境なども行ってみなければわからない。たとえば、「感染症をはじめさまざまな社会課題を扱い、アプリケーションも開発しているような数理モデル・シミュレーションの研究室」と聞くとハイスペックなパソコンが何十台も並んでいると思うかもしれない。しかし、訪れた多くの研究室では、数台の普通のPCが並んでいるだけであった(筆者が、この調査の直前にスパコン施設の見学をしていたので勝手に思い込んでいただけかもしれないが)。「インフルエンザの予測にスパコン投入」などの勇ましい記事や文献も見かける。しかしそうした活動にかかわっている研究者はほんの一部であり、たいていの場合は、その二、三歩手前くらいの段階で模索しているのである。

熱い語りから概念化へ――STS研究のおもしろさ

 何より、インタビューの中では、熱い語りを聞き取る機会にも恵まれる。科学者と話が盛り上がるのは、やはりその科学研究そのものにまつわる何かしらのポイントに触れたときだと思う。台湾でインタビューさせていただいたある先生からは、数ある感染症問題の中でも「デング熱」について熱く語っていただいたことが印象に残っている。デング熱は、環境と社会との関係性があらわれるテーマであり、環境の重要性の理解につながるのだという。感染症数理モデルの研究は、さまざまにある自然科学・工学の学際的領域にまたがっている。つまり感染症数理モデルのみに特化した研究者コミュニティが強固に形成されているのではない。数理モデル、あるいは、感染症を専門の軸として、境界領域にさまざまな専門家が乗り出しているという状態にある。かかわる専門家は、一つの研究室の中でもさまざまな手法や対象を扱っているので、その当人がコアに抱える興味関心は、意外なところにおかれていることもある。こうしたことが、熱い語りを通してほのかに見えてくるのである。

 多くの語りを集めてきたSTS研究者が行うのが、概念化(理論化)の作業である。感染症問題で筆者がどのような概念化を進めたのかについては、第2回で取り上げてみたい。

 


注1 日比野愛子(2019)「感染症シミュレーションにみるモデルの生態学」山口富子・福島真人(編)『予測がつくる社会――「科学の言葉」の使われ方』(第5章,113-138頁).東京大学出版会

 

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著者略歴

  1. 日比野 愛子

    (ひびの あいこ)科学の現場である実験室に関心を持ち、どのような人・モノ(道具)の動きが生じているのかをフィールドワーク等を通じて探究してきた。一見みえにくい「道具をつくる人々」に関心がある。感染症モデルのほかにはバイオテクノロジー関連領域への調査経験が長く、近年では地方部のローカルテクノロジーにも触れている。他方、科学をとりまく社会心理の側面として、培養肉など新興科学技術の意識調査を実施してきた。科学の外側、内側、どちらにしても、データをもとに探索的に物事を明らかにしていく姿勢を好む。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、博士(人間・環境学)。現、弘前大学人文社会科学部准教授。専門は、社会心理学、グループ・ダイナミックス(集団力学)、科学社会学。
    HP:http://www.fibonacci-ah.net/

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