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木下寛子「学校の時間」

学校の時間のはじまり:あなたを待っていた

 前回、ある小学校に初めて訪れた日の話をした。その小学校は海の見えるところにあって、そこでの日々を身近なものとして経験したいと望んだことが、小学校を継続的に訪れるフィールドワークのきっかけになった。それは、学校の日々をひとめぐり経験したあとの「学校の時間のはじまり」だった。だから、海の見える学校の毎日はよくわからないが、学校の日々についてはまったくの未知ではない。私にとって、この学校での時間の「はじまり」は、そういうところからの「はじめなおす経験」として展開することになる。

 しかし、ありふれた意味での「学校の時間のはじまり」とは、たいていの場合、ことさらに望んではじまる(はじめる)ものではない。多くの人が経験する「学校の時間のはじまり」は、6歳になった子どもに訪れるものである。海の見えるこの小学校にも、毎年この「学校の時間のはじまり」を経験する子どもたちがいる。今回は、学校のフィールドワークの諸展開について話すことはいったんあとまわしにして、入学式の日の話をすることから、多くの人が経験する「学校の時間のはじまり」に触れてみたい。

 九州の桜は、だいたい毎年3月に満開を迎える。4月も中旬に差しかかるころには、散った花びらが風で舞いあがり、小さなつむじ風を作りはじめる。海の色も、厳しい灰色から穏やかな明るい緑を帯びた色に変わり、潮干狩りの季節が近いことを知らせてくれる。このような穏やかで朗らかな4月の日に、海の見える小学校の入学式は開かれる。

 その年の入学式も、私は「カメラ係」として入学式の一日に立ち会うことになった。小学校に通いはじめて5年目のころ、「式に毎年せっかく来てるなら、写真、撮っといてよ」と先生たちに言われ、それ以来、私は毎年、カメラを持って入学式の一日に参加するようになっていたのである。

 入学式の日の朝、新1年生を受け入れる準備がおおよそ終わり、つかの間、落ち着いた時間がやってきた。「お世話係」を務める6年生は、それぞれの持ち場でしばらくは生真面目な顔をして立っていたが、やがて体をひねったり、隣の友達を突っついて笑い合ったりして、待ち時間の手持ち無沙汰を紛らわしはじめた。先生たちは、いつもよりもあらたまった装いで、新1年生の書類や名簿の最終確認をしていたが、そのひとりがふいに顔を上げた。6年生の担任だった。

 「もしもし、6年生のみなさん」と呼びかけ、「もうすぐ1年生が来るから、くねくねしないで」とたしなめた。6年生の子たちはすぐに「はいー」「ごめんなさい」と返事するが、どうにもくすくす、にやにやと笑いが止まらない。緊張が高じてしまっているのだった。

 そこに、

 「あ、来た」

 と突如、声が響いた。いつ新1年生が来るかと、ずっと教室の窓に張り付くようにして校庭を見下ろしていた6年生の声だった。見れば確かに、小さな人影が、大きな人影に手を引かれて校庭を横切り、校舎に近づいてくる。一番乗りの新1年生である。途端にそれまでの待ち時間は終わり、先生たちも6年生たちも、それぞれに持ち場に戻って背筋を伸ばした。

 新1年生が家族と一緒に教室の前に姿を現すと、先生たちが口々に「おはようございます」と声をかけた。一番乗りは、イガグリ頭の男の子だった。黒のジャケットに白のシャツでおしゃれにしていたが、グレーの半ズボンの下からは、両膝の擦り傷が見え隠れしている。ふだんはもしかしたら、よく跳ねよく走る子なのかもしれない。けれどもこのときばかりは先生たちの声に圧倒されたのか、先生たちをじっと見つめたまま動かない。「お名前、教えてくれるかな」と話しかけられると、さらにジリッと後ずさりした。家族の人が「ほーら、おはようございますって(言わなくちゃ)」と言って笑い、つないでいた手を離して、そっと前にイガグリ頭を押し出した。

 家族に連れられてやってきた新1年生の子たちは、今度は6年生や先生たちに手を引かれ、廊下、トイレ、教室、体育館、渡り廊下、記念写真の撮影、とその日一日をあわただしく過ごすことになる。そんな新1年生の向かう先に回り込んでカメラを構えていると、待ち時間や移動の際、新1年生が笑顔の合間に、ときどききょとんとした表情をしたり、大人たちをぽかんと見上げたりすることにも気づかされる。その様子にふと、この子たちには、初めての場所、初めての状況での目まぐるしい一日はどう映っているのかな、と思った。そして、できることならば、よい一日として記憶に残ればいいな、とも思った。この日一日、新1年生の子たちには、とても大事なことが、そのほとんどがことばにならないまま伝えられていたからだった。

 イガグリ頭の男の子がそうだったように、新1年生たちがやってくると、先生たちや6年生たちはまずひとりひとりに名前を尋ねる。それは人数確認や手続きのためでもあるが、なによりも、新1年生の胸に名札をつけるためだった。受付に新1年生の名札が全員分準備されていて、6年生がその中から名札を見つけてはその子の胸につけていく。自分の胸に名札をつけることには慣れている6年生も、小さくてふわふわした体を相手に安全ピンを通すのは緊張するようだった。先生たちやクラスメイトがその子の手元を心配して周囲を取り巻くと、余計に緊張してしまう。名札は右に左に傾いてなかなか落ち着かなかった。

 新品の名札が胸に落ち着くと、群がってかたずをのんで見守っていた先生たちや6年生たちもほうぼうに散っていく。残された新1年生の子たちはそれぞれ、今度は「教室の係」の6年生に託されて、教室の中に入る。教室のどの机にも、左肩にひらがなで名前が書かれた大きなシールが貼られていて、6年生の人たちから「ひらがな読める? 机、探そうか」と声をかけられると、ある子は教室中を跳ねるように、ある子はそろりそろりと音もなく歩き回って席を探した。そしてどの子も席を見つけると、6年生に手伝ってもらってランドセルを背中から降ろし、いそいそと椅子に座るのだった。

 その姿に、6年生の顔も思わずほころぶ。少しの間、新1年生が自分の席から見える景色を楽しむ様子を見守って、「じゃあ次はランドセルね。後ろに置きに行くよ」と言った。そして新1年生の子の手を引いて、一緒にロッカーの名前を探しに行く。もちろん、ロッカーにも名前のシールがちゃんと貼られていた。6年生から受け取ったランドセルを、よっこらせ、と自分でロッカーに収めると、また6年生に手を引かれて席に戻った。「じゃあね、またあとでね」と言い、「教室の係」は、次の新1年生を誘導するためにさっそうと走り去っていった。

 新1年生はみな、席に取り残されるとしばらくの間、ぎゅっと口を引き結んだまま、緊張で身を固くしている。やがて少し周囲の様子がわかってくると、机に貼られた自分の名前のシールを手でなでたり、隣の子を見つめたり、話しかけたり、名札や服の縁飾りを大切そうに触ったり、通りがかりの6年生の人や先生に話しかけたりと、めいめいにくつろいだ様子を見せはじめる。次第ににぎやかになっていく教室の中で、さきほどのイガグリの男の子は、何度も何度も机の名前シールを人差し指でなぞっていた。そして顔を上げて誇らしげに、

 「ひらがな、もう読めるとー(読めるんだよ)。これ、ぼくの名前」

 と私に言った。

 こうして新1年生の子たちはこの日、学校の中に自分の名札や机やロッカーが準備され、自分の名前があちこちに貼り出されているのをひとつひとつ確認していく。それを通じて学校は、新1年生の前に、翌日からの生活の場として、おおざっぱながらも具体的な姿を現しはじめる。

 入学式での新1年生向けのスピーチで、校長先生は最初に、「皆さんを待っていましたよ」と言った。担任の先生はもちろん、他の先生たちも、入学式の日まで新1年生について知っている確かな情報は、ひとりひとりの名前だけである。顔もよく知らず、大きな子なのか小さな子なのか、どんなふうに笑い、どんなことが好きで嫌いで、どんなふうに何に泣いたり怒ったりするのかもまだよくわからない。学校の誰もが、名札や机、ロッカーの準備をしたり、入学式のセッティングをしたりしながら、めいめいに新1年生と対面するこの日を、確かに待ち望んでいた。

 最初のホームルームの時間、初めての顔合わせで、担任の先生は、自分の席に着いた新1年生ひとりひとりの名前を呼ぶ。名を呼ばれた子は、手を挙げて「はい!」と大きな声で応えて、担任の先生と握手する。先生も、子どもたちに自分の名前をつたえて、「今日はお家で、先生の名前を覚えてきてくださいね。これが宿題ね」と言った。

 ようやく、ひとりひとりの顔も見えてきた。こうして先生にとっても、子どもたちにとっても、相手が見えないまま待ち続けた時間が終わる。

 その日のホームルームの終わりに、先生が呼びかけた。

 「明日またこの教室で会おうね」

 新1年生は元気いっぱい、無邪気に「はーい」と答え、「さようなら」と挨拶をすると、教室を飛び出して家族と共に帰りはじめた。一番乗りの子も教室から飛び出てきた。私を見ると、おお、カメラの人だ、と気づいた様子で、私の前で一瞬立ち止まる。「今日はどうだった?」私がそう尋ねると、やってきたときの張りつめた様子とはうって変わって、元気いっぱいの「なんか楽しかった!」という返事が返ってきた。顔にはさすがに少し疲れがにじんでいたが、表情は明るかった。その声や表情に小さく安堵する。

 小学校、中学校の少なくとも9年間、連綿と続く学校での日々を、これからこの子たちがそれぞれにどのように歩んでいくことになるのか、子どもたち自身はもちろん、先生たちも家族も、想像がつかない。それでも入学式のこの日、新1年生の子たちは、先生たちや6年生たちに迎えられ、胸に名札をつけてもらい、自分の机を確認し、ロッカーを確認し、担任の先生と顔を見せ合って、学校での最初の一歩を踏み出した。

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著者略歴

  1. 木下 寛子

    きのした ひろこ
    神奈川県横浜市生まれ、山口県育ち。九州大学教育学部卒業、九州大学大学院人間環境学府博士課程単位修得退学。2017年に学位論文「小学校の日々から始まる雰囲気の解釈学現象学」で博士(人間環境学)(九州大学)。現在、近畿大学九州短期大学准教授。専攻は環境心理学。学部2年次からのフィールドである小学校での経験から、雰囲気や風土、学校の世界を問うことを研究の主題にしている。主要論文に「雰囲気が言葉になるとき」(質的心理学研究、2017年第16号)、単著に『出会いと雰囲気の解釈学――小学校のフィールドから』(九州大学出版会、2020)。分担執筆に、「マイクロ・エスノグラフィー:私たちが生きる世界を訪ね直す方法」(木戸彩恵・サトウタツヤ 編『文化心理学――理論・各論・方法論』ちとせプレス)、「異人の目」「研究日誌」など5項目(能智正博 編集代表『質的心理学辞典』、新曜社、2018)など。『学校における自殺予防教育プログラムGRIP―グリップ―』(川野健治・勝又陽太郎 編、新曜社、2018)ではGRIPのカード教材「KINO」のイラストのほか書籍の装画・挿画も担当。

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