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信田さよ子+温又柔「『母』と『国家』」

後編:「家族」と「国家」は連携し、共謀する

娘は母の愚痴ネイティヴ

 それにしても、信田先生の「自分の言葉を持ったり使ったりしたら家族は成り立たない」、衝撃的な言葉でしたが、先生のお仕事の中から日々実感されることなのだと思います。

信田 ええ。父親は、企業に入ったら、まず自分の言葉は捨てるでしょう。母親もまた企業の中で捨てるし、家庭の中でも捨てますよね。もしくは捨てたように見えて実はすごい暴虐な言葉を持っているんです。たとえば、「あんたなんか生まなきゃよかった」とか。そういう言葉をたくさん持っている。そして中間がなく、また自分の考えではなく、パパがこう言ってたから、という言い方をしたりする。そしていざとなったら、あんたなんか絶対幸せになれないから、とトドメを刺すわけです。

 家族の中で言葉が通じない状況というのは、私の場合は本当に具体的で、日本語が達者ではない母親との関係のことなんです。たとえば高校生の頃、友だちと閉店間際までマクドナルドとかにいて、夜遅くに制服に煙草の匂いをつけて帰ったりすると、当然のように母がめちゃくちゃ怒っている。高校生なので、そんな母をこちらはうっとうしく思うんです。しかも母が私を叱るときって、台湾語と中国語が混ざったものがばーっと出てくる。勢いをつけるための語尾だけわずかに日本語だったりして。ただでさえめんどくさいな、ほっといてよ、と思ってるときに、母のそういう喋り方が正直、私はすごく嫌だった。なんでママはちゃんとした日本語を話せないんだろうって。そんなめちゃくちゃな言葉、一歩、家の外に出たら全然通じないおかしなものなんだよ、って。一方で、そんな母の言葉が、私にはほぼ100パーセント理解できてしまうんです。何語であろうと、私は母が言おうとしていることならなんでもわかってしまう。そのことが妙に息苦しくてたまらなかったんです。でもこのことは、信田先生のおっしゃっている母娘のあいだで言葉が通じないという問題とは少し違いますよね。けれどなんだろう、あの、少し支離滅裂にも聞こえるような母の言葉がむしろ全部わかってしまうことへの苛立ちは……。

信田 誰にも言わないようなことを、母が娘に向かって、わーっと言う。そしてそんな母が何が言いたいのかを娘はすぐ理解してしまって、そのことに苛立つ、というのはあるんですよ。だってそれまでにも、二人でいるとき、母は娘にいろいろなことを話してきているわけじゃないですか。たとえば自分がどうやって育ってどんなことを思ってきたか、どんなふうに夫や姑はじめ、夫の親族たちに自分が苦しめられてきたかということなどを、娘はごくごく小さなときから寝物語のように母からずっと聞かされていることが多いわけですから。娘の話はろくすっぽ聞いちゃいないのにね。

 母がなにかひとつ言っただけで全部わかってしまうことが嫌なんです。

信田 結婚って異文化との結合でしょう。相手の実家とは違う文化で育ってきた。文化は言葉だから、そこで自分の文化としての言葉ばかり使えば、当然摩擦が生じてしまう。だからなんとか異文化に同化しようとする。けれど、娘という気のおけない相手に対しては思う存分に彼女自身の文化/言葉が出てきてしまう。そして娘はそれを理解してしまうんです。感情の流れを含めてね。ここで母が怒るのは当然だろうな、とか。

 ネイティブなんですね。母の愚痴すべてのネイティブは、娘しかいない。私の場合は、たまたまそれが中国語と台湾語とカタコトの日本語でした。それでも私は母の言いたいことが全部わかってしまうというか、なんというか……飲み込まれてしまうような感じがあって、あるとき、ついに叫んでしまったんです。なんでママはいつもそうなの? もっとちゃんと日本語で話してよ。私だって普通のママが欲しかった、って。

信田 その時、お母さんはどういう反応をされたんですか?

 絶句していました。直前まで、ずっとすごい勢いでまくし立てていたのに。

信田 お母さんはその時のことを、今でもずっと覚えてるのかしら?

 ときどきからかわれますね。普通のママが欲しかったんでしょ、って(笑)。

信田 やっぱりずっと覚えてるんだ。 

 はい。のちに私がそのことを元に小説を書いたのですが、それが中国語に訳されているということもありますし。いずれにしても、普通のママが欲しかった、と叫んで母を絶句させたこのときの経験こそが、私の作家としての原点なんです。というのも、かつての私が、中国語や台湾語をまじえた母の言葉を疎んじていたのは、「国語」的な日本語でなければ「普通」ではないと思い込んでいたからなんですね。
 でも、ここでいう「普通」とはいったい何なのか、ということなんです。つまり、日本人化した主人公が、「普通」の日本人や日本語とはほど遠い、母や、母の言葉に翻弄させられる姿を描くことで、そのことを根底から問い直したかった。思春期の娘とその母親の口論という非常にありふれた状況において、言語の問題が入り込んでくるわけです。ただ、先生のお話をお聞きしながら、母娘の問題というのは、こういった言語の問題があろうがなかろうが、共通する部分はあるのだなと気がつきました。

信田 そうですね、温さんおっしゃるように、共通するところと異なるところがありますね。

 異なる部分に関して言えばもう一点、母が祖母のように日本語がじょうずなら良かったのに、という気持ちも私にはあったんです。というのも祖母は日本統治時代に教育を受けているので、母より日本語が上手だったんですね。

信田 ああ、なるほど。

国家と同化する「母」

 きわめて個人的な領域であるはずの母娘関係の中に、そういう具体的な歴史や政治、さらに言えば経済の問題も関わってくるという……そのあたりのことを私は、鄭暎惠さんとリサ・ゴウさんの本を通して学んだんです。

信田 『私という旅――ジェンダーとレイシズムを越えて』(青土社)のお二人ですね。

 はい。あの本のテーマのひとつは、この国で第三世界のアジアの女性であるということはどういうことなのか、ということでした。私の場合は両親ともに台湾人なのですが、とりわけこの本の中の、日本人の男性と結婚した外国人、特にアジア系の女性の場合とその子どもの話に考えさせられました。日本で育つ子どもは、どちらかといえば父親の秩序を内面化する。その父親の秩序とは、「アジア系の女性」である母親を見下すような部分も含んでいるわけです。そしてその子どもは、母親を劣った存在とみなしたり、母親と父親の両方が混ざり合っている自分自身のことをも見下すようになって、自尊心が損なわれる。この本を読んで、こうした子どもたちをそのように追い詰めている状況は、普通のママが欲しかった、と叫ばずにいられなかった私の問題でもあるんだな、と。

信田 温さんのお母さんと、私のところにやってくる、私が本に書いているような母親たちとの違いを考えながら、温さんのお話をお聞きしていました。後者はやはり、無批判に国と同化してるんですよ。夫や父親に反発し、軽蔑し、ときに殴られながらも、でも同時に、この日本というか、「妻」「母」を果てしなく持ち上げる国を肯定し、そこに自分を同化させようとしているんですよ。

 なるほど。

信田 そしてその文脈から娘が外れるということは絶対に許さないし、否定するんです。けれど温さんのお母様とその言葉は、日本に全面的に同化しようとするものではありませんよね。非常に独特の立ち位置だと思います。

 私の母と母の言葉については、母の母のことも含めて、今後の私の大きな課題です。それにしても、先生がおっしゃるとおり、「妻」や「母」を持ち上げる国に自分を同化させるような言葉遣いをするひとって、結構な割合でいますよね。私は今39歳なんですけれど、同級生の多くが結婚し、小さい子どもを持ち始めています。彼氏とは対等でいたいよね、と熱く語り合っていた友達と久々に再会したら、開口一番「主人がね……」言ったりする。男友達の場合は、「子どもが俺を親にしてくれた」とか。

信田 その子どもは、彼を親にするために生まれてきたわけじゃないよね(笑)。子どもを持つと、変に自分が持ち上がったような言葉を使い始めるのが不思議ですよね。

 突然変なことを言い出したな、と。(笑)

                         

「普通」という名の登山電車

信田 子どもが生まれると「普通の家族」というものがどこからかどーんと降りてくるんでしょうかね。あるいはたとえばアルプスに行く時、登山電車に乗るじゃないですか。子どもが生まれると、みんながそんな登山電車のようなものに乗ろうとするのかもしれませんね。「普通」という名の登山電車に。

 その登山電車はどこを目指して行くのやら。けれどそもそもチケットを持っていない人は乗れませんよね。とはいえ、ここ20年くらいで、そんな電車に乗るためのチケットを手に入れる気はない、そんなふうに考える人が増えてきているような気もします。

信田 それは現実的に言えば、給料が安いから最初から乗車を諦めているということなんじゃないでしょうか。

 それもあると思いますが、子どもを持たずに生きることもありだよね、ということが以前よりはずっと言いやすくなっているからだとも思います。

信田 たしかにそういうコミュニティもあるとは思います。しかしやはり厳然としてあるコミュニティというか、それは皇室を頂点とした、ありもしない「普通」のものなわけですが、そこに行ったら、吹けば飛ぶような存在かもしれません。

 たしかにそうかもしれませんね。いずれにしても、「普通」を内面化してしまっていて、けれどそれを実現できていないと感じる人たちが一番苦しいですよね。私も子どもはいないのですが、自分と同世代の女性が、早く子どもを産まなくちゃ、とか、親に孫の顔を見せなくちゃ、と言うのを聞くと、なんて声をかけてあげたらいいのかと……。

信田 そんなことを言うの? 今の若い人たちが?

 ええ。そういうことをぽろっと口にしてしまう人たちにとって、子どもを持たないという選択は、おそらく「普通」じゃない。それで、「普通」ではない自分を嘆いてしまうんです。

信田 日本はこれから近代国家として家族を作り、家父長制、長男相続でいくのだぞ、と明治民法が規定したわけじゃないですか。それが連綿といまだに続いてるってことですよね。改めて驚きますね。

 ええ。それを引きずっているからか、いまだに二十代が終わる前には結婚して、三十代になったら子どもを二人ぐらいもうけて、という人生が「普通」で、そしてそれが幸せなんだとどこかで信じている。

信田 恐ろしい話ですね。家族形態もそうだし、刑務所の制度もそうだし、性犯罪の法律も明治のままだしね。性犯罪の法律は一昨年、その一部がようやく改正されたけれど、百数十年ぶりの改正ですよ。「強姦」という言葉も生きていましたしね。日本というのはやはり明治のままなんだと思います。

 しかも、明治以前にはじつはいろいろな価値観があったのに、明治時代にできあがったものこそが日本の伝統だと思っている人も多いでしょう。そういう人たちほど、明治的な家族観や価値観を疑おうとしない。だから夫婦別姓にすると家族の絆が壊れるとかトンチンカンなことを言い出すんですよ。

母、国、言葉、食

信田 おっしゃるとおりだと思います。そして、今回の対談のテーマである「母と国家」ということに関してもうひとつ言うと、『棄国子女:転がる石という生き方』(春秋社)という、私のとても好きな本があるんですけれど、著者の片岡恭子さんという方は、お母さんとの間のすさまじい葛藤を経て、日本を出て南米を放浪するんです。この本を読むと、母を捨てるということは、国を捨てるということなんだということが何よりよくわかるんです。母、国、言葉、食というのがすごく分かちがたいものだということがよくわかる。
 いままでお話ししてきたように、そのことは温さんの視点からも見えてくるものだし、母と娘という視点からも、そしてやはり摂食障害という視点からも見えてくる。けれど男性でそういう視点を持っている人はなかなかいませんよね。たとえば社会学者の岸政彦さんが、自分がマジョリティであるということは、マイノリティとの付き合いがなければ意識できない、とおっしゃったわけだけれど、付き合いがあっても理解しない、できない人もいる。たとえばそもそもアンチフェミニズムの人がいるわけですしね。

 そうですね。また逆に、子どもを思う母親の気持ちに国境などない、といったような言い方で、母なるものや女性的なものをむやみやたらと賛美する方もいます。厄介なことに、そう言いたがる男性に限って私はフェミニストです、と自称するんですよ(笑)。

信田 虐待問題にも似たからくりがありますよ。まともな親はあんなことはしない、と。マスコミも、虐待する親を周縁化することによって健全な家族の常識を守るというところに落としどころをもっていくし、『母さんがどんなに僕を嫌いでも』といったタイトルの本もありますしね。あれは結局、「それでも僕は母が好き」というところに落とし込むわけですが、それが著者の正直な実感なんでしょう。映画にまでなったのは、そのせいじゃないでしょうか。

 そうですね。信田先生のいままでのお仕事や今日のお話から、家族と国家の関係は一見対極的なものであるように思われるけれど、けっしてそうではないということを改めて考えさせられました。とりわけ、「国家」と「母」的なものは密接な関係にあることを踏まえて、「移民」に関する問題について、もう少しだけお話ししてもいいでしょうか。

信田 ええ、どうぞお願いします。

逃げた先の「面会交流」

 私がやはり今どうしても気になるのは、先ほどの鄭暎惠さんとリサ・ゴウさんの本の内容を拝借すれば、「この国で第三世界の女性」たちと、その子どもたちの問題についてなんです。というのも、日本人男性との結婚によって日本にいるための在留資格を持つ女性たちは今、かなり厳しい状況に置かれている方が少なくない。「俺がお前を養ってやっているんだ」という暴力的なもの言いは日本人同士の夫婦間にもありがちですが、こうした「国際結婚」の場合、男のほうが「おまえは俺がいなきゃ日本にいられないだろう」と平然と言ってのけるケースがある。

信田 ええ、言葉だけではありませんね。DVのシェルターを見ているとあきらかです。日本人ではない女性に対して、すさまじい暴力があるのは事実です。

 男性が自分の妻のことを、一人の人間というよりは、モノのように扱う。その妻である女性が日本人ではないとなると、さらにそれが激しくなる。そんな夫の暴力から逃れたくても、もしそうしたら彼女ら移民の女性たちは日本にいられなくなる。だから、耐えるんです。そして、暴力を振るう日本人の父親と、それに耐えるしかない外国出身の母親の、その子どもたちはどんな気持ちで育つのかと思うと、胸が締めつけられます。こういう母子たちにとって、日本人である夫や父の権力は絶大で、そういう意味でも家族と国家の問題は直結していると思います。

信田 家族と国家との連携と共謀について、私はかつて上野千鶴子さんの仕事から、本当に目を開かれました。「そうだったのか、あいつらつるんでいたんだ」と確信した。今の温さんのお話との関連でいえば、DV防止法ってありますよね。2001年にできたわけですが、たとえばフィリピンの女性たちは日本に在留資格があるから、この法律が適用されるわけです。要は、DVを振るう夫から逃げることができるんです。けれどそれはあくまでも被害者保護と予防でしかありません。DV禁止法ではないですから。つまり、DVは犯罪にならないんです。虐待も同じで、加害者を非犯罪化しているんですね。被害者が告訴すれば、警察はしぶしぶ逮捕せざるを得なくなる場合もなくはないけれど、非常にまれなケースです。だから結局、DVも虐待も、ひたすら逃げるしかない。けれど、逃げた先に何がある。虐待の場合だって、養護施設に入った先にどうなるのかと考えたら、もう暗澹たる思いです。おまけに最近は「面会交流」というものが強制される。

 ああ、そうだ。

信田 DVの場合、とりあえずシェルターに避難して、それから生活保護を受けて隣の県で暮らしましょう、と言われる。その通りに子どもとともに命からがら逃げて、なんとか生活しようとするわけです。それなのに、夫が、子どもとの面会交流を望んできたら、ほぼ強制的に会わせなければいけないんです。姿を隠しなさい、と指導されて避難したのに、今度は子どもを父親に会わせろと。本当に矛盾している。

 矛盾していますね。おかしいですね。

信田 私はDV被害者のグループカウンセリングをやっているんですけれど、グループに来ている人の7割がたに子どもがいる。で、その人たち全員、面会交流のことで非常に悩んでいます。とても深刻なんです。なんとか拒みたい。けれど家庭裁判所は、面会交流させないのは子どもに対する母親の洗脳だ、と考える。子どもは本当に不安定になるんです。少し考えればわかりますよね。たとえばある男の子は夜驚症で、深夜にパニックになって突然起き上がって「殺されるー!」って叫び出す。またある女の子は、お父さんの存在におびえるあまり幻聴が聴こえてきて入院しています。「片親疎外」という言葉があるんですが、これはほとんど対象は父親なんです。つまり、「福祉のためには両親に会わせなければいけない。子どもには母も必要だけれど、父も必要だ」と。

 制度自体が女性を救おうとしていないんですね。特に、日本人の子どもを養育していることで在留資格が認められている移民のシングルマザーたちは行き場がありません。子どもの母親として日本にいることを許されているわけだから、働くために子どもを出身国の家族に預けることはできません。しかし懸命に働いたとしても、生活保護以下の賃金しかもらえないような、すれすれの状況に置かれているんです。ずっと日本にいられる資格としては永住権を取ればいいのですが、そうするには日本で生計を立てられると証明する必要があります。しかしこんな状況なので、その道はとても険しい。
   私の知り合いや友人たちは、さまざまなかたちでこうした女性たちが自立して生きられるための環境を整えようと熱心に働きかけているのですが、国の制度自体が現状を前提としていないので限界があるんです。そもそもこうした移民女性にとっては、社会との繋がりというと、暴力的な日本人の夫しかいない場合も少なくないんです。日本語を学ぶ場にもアクセスできない。まさに言葉を奪われていて、そのせいで彼女たちは日本で安心して暮らすことができないのです。こうした現実を知れば知るほど、私の場合、思春期の頃にはいろいろと葛藤もあったけれど、いまや台湾人である母の話す「ママ語」で育ったことを誇りに思っているということを、誇らしげに、声高に語るのが怖くなってきてしまいました。そうすることで、自分とは著しく異なる、いわゆる「不遇」な状況にある移民の親子たちの問題を見えなくしてしまうのではないか、そのことに自分が加担しているんじゃないかと、とても不安なんです。

「マジョリティ」に都合のいい「マイノリティ」

信田 温さんはそこを一番気にされていますよね。温さんの意図とは別に、フォーマットとしてそうなってしまうのではないかということですね。

 はい。自分としては、個人的なことを書いたり、発言したりしているつもりでも、切り取られ方によってはそうなってしまっている可能性もあるはずだと。特にここ1、2年は、かなりそれを意識するようになりました。

信田 自分が何かを代表してしまっているのではないかということでしょう。フェミニズムもそうだったし、マジョリティの土俵に立った最初のマイノリティの人が危惧することですね。代表していないのに代表者として、マジョリティの理解の範囲で、マジョリティにとって都合のいい像をあてはめられて利用されてしまう。でも、それを根本的に拒絶すると、同時に影響力もなくなるから、問題に対していい意味で戦略的に考えたり、あるいは少し妥協するのではないですか。

 いや、それはしたくない!(笑) 「するもんか」って思ってしまうんです。

信田 なるほど。しかしそのためには優れた理解者が必要でしょうね。そうでなければ、崩れてしまうと思います。仲間は必要ですよね。

 ええ。正直に申し上げれば、こんなふうに本を1冊書かせてもらうごとに、理解者や仲間が徐々に増えつつあるのは感じているんです。自分は多くの方々に支えられているな、と。その分、自分がそこに甘えないようにしなければという思いも募ってきて……これはよくあることだと思うのですが、いわゆる「マイノリティ」が、「マジョリティ」に肯定された、承認された、と感じたときに、そのことに高揚感をおぼえて、今度は「マジョリティ」が与えてくれた自分の居場所がどんなものなのかを疑わなくなる。要は、「マジョリティ」にとって都合のいい「マイノリティ」として振る舞うことで、自分の居場所を守るようになるんです。私は、今の自分がそうなってしまってはいないかととても不安なんです。もちろん、自分の書くものや発言が、日本人や日本社会から受け入れられるのはとても嬉しいけれど、ただ、そのことでひょっとしたら自分は何かを踏み躙ってしまっているんではないかと思うと耐えられなくて……すみません、どうしてもこの話になると自分の中に切迫感が生じてしまって、興奮してしまうんです。

信田 ぜんぜん大丈夫ですよ。

 ありがとうございます。たとえば、日本語はすべての人に開かれている、ということを私はずっと言ってきました。日本語は日本人だけのものではありません。私の存在が、そのことを証明していますよ、って。でも、そもそも私がなぜ日本語がこれほどできるかというと、日本語を習得できる環境から一度も断絶されずにここまで来ることができたからなんですよね。義務教育はいうまでもなく、高校はもちろん、大学や、その先の大学院まで行っている。どうしてそれが可能だったかというと、両親、特に父が精神的にも経済的にも支えてくれたからです。父は勉強をすることはとてもいいことだと言って、いつも私を応援してくれていた。けれども、日本にいる外国にルーツを持つ子どもたちの誰もが、私のように環境に恵まれているとは限りません。日本語はすべての人に開かれているはずなのだけれど、労働者の子どもとして来日した多くの子どもたちは、義務教育の現場である小中学校で、日本語がひとこともわからないままに放っておかれていたりする。それこそ、制度の問題です。とにかく私は、こうした子どもたちがしっかりと日本語を学べる環境が一刻も早く整ってほしいと思うんです。

信田 本当にそうであるように、私も心から願っていますよ。ところで、いわゆる文壇の人たちは、そんな温さんの存在や温さんの作品について、どのようにとらえているのでしょう。

 文壇というか、いわゆる「純文学」の世界では、多言語で書く作家として注目されながら、ありがたくも大切にされていると感じます。ただ、私が外国籍であるという点ばかりを取り上げて、このような書き手が増えれば日本文学はどんどん国際化してゆくだろう、と評する方もいて、そういった評価には、正直、複雑な思いもあります。一見、肯定的なように思えるのですが、「あなたのような外国出身の作家が増えて、日本文学は豊かになってきた」という言い方をされると、私は私のために書いているだけで、日本文学を豊かにするために書いているわけじゃないぞ、って。

信田 マジョリティは必ずそうしてきますよね。LGBTに関しても、「わが社は、たくさん雇用していますよ」と、ダイバーシティ企業であることをアピールする。それに乗っかって利用することで、企業イメージのアップに成功するというわけです。

先駆者の宿命

 私は文学に救われてきましたし、日本語を書くことでずっと自分を支えてきました。そうであるからこそ、今、日本文学の世界に、ささやかながらも自分の居場所があることを本当に幸せなことだと感じています。けれども、そこにいさせてもらっている、と卑屈にはなりたくないし、そこにいるためだけに、思ってもいないようなことはひとことも書きたくないし、言いたくない。さきほどの話に戻りますが、日本人にとって都合のいい外国出身の書き手にはなりたくないんですよ。それは私自身の意地でもあるのですが、私がそうすることで、移民として日本文学に参加するなら必ずそのように振る舞わなくてはならないのだ、ともしも思わせてしまったら、と。そう考えると不安なんです。私がこういう立場で書いたり話したりすることで、似たような立場にある人たちが歩きやすくなるのなら嬉しいんです。でも、そもそも歩き方はそれぞれ固有のものであるはずでしょう? 私が歩いてきたように今後の人も歩けるはずだ、と思わせたくないんです。

信田 フェミニズムの場合もそうなんですよ。先駆者というか、先頭を切って歩く人って、いつもそういう宿命がある。

 そのことに酔いたくないんです。

信田 でも、先頭を切っている人というのは、ごくわずかであってもどこかに自己陶酔がないと続けていけないことがあるのかもしれませんよ。客観的になりすぎてしまうとつらいところもあるから、意識的にそうするにしてもね。とはいえ、そもそも温さんは何も心配ないのでは、と思いますけれど。

温 そうだと良いのですが……

信田 ヒロイズムや権力欲、自己顕示欲、人間にはいろいろな要素がありますから。なぜそういうことを言うかというと、私はアディクション問題を専門にしているわけですけれど、アディクション問題って自己陶酔の世界なんですよ、基本は。

 アディクションは自己陶酔? 

信田 ええ。薬やアルコールを使って、ある種、自我を滅却するようなかたちの自己陶酔の世界なんです。そうすると、そこから回復するためには自己陶酔の衣を、一枚ずつ脱いでいかなきゃいけない。それを見ていると、ギリギリのところで生きていくためには、自己陶酔というのが必要だったんだ、ということがよくわかるんです。温さんの仕事がアディクションであると言っているわけではありませんよ。けれど、先駆者である人は少しくらいは自己陶酔がないとやっていけないはずだと私は思います。だからそこはあまり厳し過ぎないほうがいい。

 なるほど……。ただ、岸政彦さんとの昨年のご対談「マジョリティとはだれか」(「現代思想」2019年1月号所収)を拝読すると、信田先生もそのあたりはとてもご自身に厳しくされているという印象があります。たとえば、権威になりたくない、と繰り返しおっしゃっていますよね。

信田 ああそうだったわね(笑)。たしかにそこはものすごく気をつけています。

 やはりそうなんですね。

信田 ええ。それに付け加えて、大事なことはもう一つ、仲間を作ることです。仲間を作ると必然的に相対化されますから。たった一人というのが一番危ないんです。だから、同じような立場じゃなくてもいいから、つねに話すことのできる仲間がいれば、自己陶酔についてはそれほど心配しなくても大丈夫だと思いますよ。けれどそこまでの話ではなく、自分の言葉にただただ自分が酔ってしまっていて、端から見ていてかなり見苦しい人もいますよね(笑)。

 そうなんです(笑)。もしもそういう人が近くに来てしまった場合、どうしたらいいんでしょうか。私が懸命に否定している、「マジョリティ」にとって都合のいい「マイノリティ」のストーリーをうっとりと語ることで、「マジョリティ」から施された居場所を保持しようとする人に向かって、そんなやり方で認められても、結局、「マジョリティ」にとって都合のいい状況を補強するだけだよって言いたいんだけれど、なかなか伝わらなくて……。

信田 それに対抗するには、ちょっとした技術が必要ですね。

 というと?

信田 心の中では、「さて、こういう見苦しい自己陶酔の姿をどうやって言語化してやろうか」と考えながらも、表面的には「そうですねえ。う~ん」と。あるいは、「たいへん示唆されるところが多いですねえ」とか、「お気持ちはなんとなくわかるような気がいたします」とか、そういう言葉をたくさん持つということでしょうか。あまり真剣に、そういう人に対して時間を使うべきではない、と私は思いますよ。

 自分が本当に書きたいこと、本当のたたかいのために。そして、自分を守るために、ですね。

信田 そうです。         

「母」は国家の意志を体現する

信田 いままで温さんとお話ししてきたことと、さまざまなレベルですべて関係していることですが、最後に改めて、今回の対談テーマである「家族」あるいは「母」と「国家」について、お互いに思うところをもう少しお話ししていきましょうか。

 はい、ぜひ。信田先生は、ご著作でも、ご講座などでも、そのふたつの分離不能性について繰り返し訴えていらっしゃいますよね。

信田 ええ。まずはやはり、2011年の東日本大震災の直後ですね。誰もが覚えているかと思うのですが、あの時ACジャパンが露骨にもひたすらアピールしていたのは、「親子」のパラダイムばかりだったんです。夫婦ではなくてね。つまり、この国家の未曽有の危機に出てきたのは、天皇と親子だったわけです。危機の時ほど見えるものがあると言いますが、やはりこの国は、親子と天皇でもたせるつもりなんだな、と痛感したんですよ。平和な時、平時にはわからないんですけれどね。

 本当にそうでしたね。

信田 社会学的に考えれば、公私の区別というのはあるはずです。では公って何かというと、それは国家の意志のもとにある。そしてその公の部分、パブリックの部分が非暴力を掲げれば掲げるほど、私領域に対する幻想というのが強まるじゃないですか。そしてその分だけ、いわゆる憩いの場としての家族の暴力というのは逆に激化する。千葉県野田市の虐待事件の父親を見ていても、職場で働いている時の彼と、家へ帰ってからの、いわゆる帝王的な振る舞い、まさにその両方がひとつのセットとして、彼の人生は成り立っていたと思うんです。
 パブリックの場で非暴力への言説が徹底されれば、プライベートな領域での暴力は激化するというのは、私は法則だと思います。今、日本も含めて、さまざまな国は、私(わたくし)の領域でも暴力を禁止しようとしていますが、日本の場合は、さきほどお話しした法律しかりで、徹底的にはやりませんからね。絶対に抜け道を作る。そこに噴き出してくるのが、男たちの暴力ですよ。そして結局、非暴力と言いながら、トランプの場合の対イランもそうだけれど、国家の暴力というのは野放しのままです。そして、私領域の暴力も野放し。野放し同士はやっぱり共謀している。私はそう思っています。

 そしてそこには「母」的なるものが関わっている。

信田 母というのは、国家の荒々しさ、支配の猛々しさを見えないようにするんです。すごく巧妙で、自己犠牲を払って可哀想なふりをして、実は国家の意志を誰よりも体現しているのが母なんです。「普通でありなさい」とか。

 そうですね。「恥ずかしい人生を生きないで」とか。

信田 「世間様がなんて言うか」、「人様には絶対に迷惑をかけちゃいけない」と。そしてそういうこと自体が、いわゆる国家の意志の忠実な実行者であるわけです。

 日本の場合は特に?

信田 ええ、特にそうだと思いますよ。日本の軍国主義が自己犠牲を強いた。三島由紀夫の場合もそうだけれど、この国では、「死の価値」が高いじゃないですか。そういった死への思想のようなものが日本にある限り、その母の自己犠牲の価値の地位というものが堕ちることはないと思います。そしてその反動で、楽しいこと、たとえば「私がイキイキしなきゃ」とか、みんなが言うわけです。だけどそれ、そもそも根本がおかしいでしょう、と私は思っています。

 母たちがそう言う、ということですか?

信田 ええ、楽しい母、元気な母はいいことよ、って表向きは言うじゃないですか。女性雑誌などでもね。それに乗せられているということです。

 ああたしかに、いくつになっても元気で明るくて美しい母を目指しましょう、と。

信田 そう、ずっと良き妻、よきママであろうと。

異なる存在をナチュラルに見下す

 少しだけ話が逸れるかもしれないのですが……最近のことなのですけれども、近所のファミレスに行ったら、ちょうどそんな明るくて美しい感じのお母さん二人が、小学生の息子たちとケーキを食べながらお茶をしていたんですね。その隣の席で私も腹ごしらえをしていたのですが、お母さんたちの話が聞こえてくるんです。その話というのが、〇〇ちゃんのところはパパがいないからね、といった内容で、しかもその言い方があきらかに否定的なものだった。

信田 子どもたちは何歳ぐらいなんですか?

 小3か小4ぐらいじゃないかなと思います。そして、〇〇ちゃんの名前が出たときの彼らの反応もなんだか微妙な感じなんです。そしたらそれを受けるようにして、お母さんのうちの一人が「だって、あの子のお母さんは日本人じゃないからね」と言った。私はちょっとぎょっとして、思わずそのお母さんの顔を凝視してしまって。そしたら続けて息子さんたちが「うわあ、やだあ、気持ち悪い」と言うんですよ。もう本当にショックでした。何てことを言うんだよ、と。それで、あの、今のご発言は人を傷つけるし、良くないと思います、と言ったんですよ(笑)。

信田 偉い。

 いえ。ともかくあまりにもひどい展開を見聞きして自分の顔が強張っているのを感じていたので、それを言う前に、数分間ぐらいどうしようかとすごく悩んだんです。今この場で彼女たちに何か言うべきだという思いと、なぜ自分がそんなことをしなければならないんだろうという思いとが頭の中に渦巻いていた。その間おそらく、強張った顔のままで彼女たちをずっと睨みつけているような感じだったはずです。
 しばらくしてとうとうあちらのほうから先に、「どうかされましたか?」と訊ねられた。そのとき、私は自分の体が震えているのにも気がついたんです。どうかされましたか? そう訊かれたことで私は、この人たちは自分たちが差別しているという意識がないんだということがはっきりとわかった。だからこそ、隣の席の見ず知らずの第三者にそんな反応をされるのが不思議でしょうがないという表情だったんです。そのことに私はさらにショックを受けました。結局私は、ほかにもこう言いました。なぜ日本人じゃないと気持ち悪いんですか? って。パパがいないからって何が悪いの? とまでは言えなかったけれど、せめてそれだけは言っておかなくちゃ、って。とはいえ、怒鳴り散らしたりしたわけじゃないんです。むしろ淡々と、自分を抑えるようにして話しました。子どもたちはシュンとしてしまって、お母さんたちはそんな彼らを少し叱るような感じで「よく聞きなさい。この方の言う通りだよ」と。いや、私はあんたたちに言ってるんだよ、と思いましたけどね。

信田 うーん、なるほどね。

 ほんとうに「普通」の、身ぎれいな女性たちでしたよ。きっと立派な「ご主人」がいて、そしてかわいい息子さんがいて、そんなふうに似た境遇のママ友同士がつるんでお茶をしていただけです。でも、内心は、そんなふうに良き妻、良き母である自己イメージを守るのに必死なのでしょう。だからこそ、自分たちとは異なる存在を、とてもナチュラルに見下せる。彼女たちのその態度に、私はとても傷つきました。

信田 いろいろな階層でそういうシーンがありますよね。たとえば、名門と言われる幼稚園に子どもを通わせている医者の夫婦が、よその家庭について、「あの家(うち)、日本人じゃないし」とか、普通に平然としゃべっていたりしますしね。

 「普通」がおかしなことになっている。

信田 本当に。いわゆるネトウヨ的言説の影響は大きいと思います。少し前まではネトウヨ的なことにハマるのは若い男性が多かったのに、今は中年とか、最近ではお母さん方のサイトなどにもそういう言葉がはみ出てきていると聞きます。そこでそうしてお互いの日々のフラストレーションを発散させているんですね。いまのお話で言えば、温さんは当然とても傷ついたと思うけれど、おそらくなんだかよくわからないままにお母さんたちの話を鵜呑みにしている子どもたちのためには、温さんの態度と言葉は非常に貴重で大切なものだったと思いますよ。

                                 

「ママっていいよね」「日本っていいよね」という呪い

 ありがとうございます……。先生の『ザ・ママの研究』を拝読していると、子どもにとってお母さんは一人だし、お家も一つだし、だからなかなか相対化できないんだ、と改めて痛感します。そしてお母さんの言うことが全世界の基準なんだ、と思い込んだまま、自分を苦しめている場合もとても多いと思うんです。

信田 そう。多いんですよ、そういう女性が。母と娘の問題の核心はそこですから。

 母が絶対神になってしまっている。母を相対化するきっかけが足りなさ過ぎるんですね。最初の先生の話に戻りますが、母を疑ってはいけないという呪いのようなものが解けない。身も蓋もない質問なんですが、どうしたらいいんでしょうか。

信田 『ザ・ママの研究』に書いたように、まずは冷静に「母」を対象化するしかないんです。それから、なるべく本を読むことでしょうね。

 そうですね。まさにそうですね。

信田 小さいころから本を読んでいる子って、自然と物事を対象化できる力がついていることが多いですから、家族の中に何か問題があっても、それなりに生き延びることができるんです。しかも本にはいろいろな家族が描かれていますからね。

 自分の置かれた状況を違う目で見るチャンスを得るために、読書というのは本当に役に立つものですよね。その意味では、私もつくづく本に救われてきたところがあります。今回の『「国語」から旅立って』は、かつての自分のような、外国にルーツをもちながら日本で育ちつつある若い読者に宛てて書きたかったということもあるけれど、さきほどのファミレスの子どもたちのような、いわゆる「普通」の日本人の子どもたちに、あなたたちのとなり、あなたたちと同じクラスに、日本人ではないけれど日本で育っている子がいたとしたら、その子ももしかしたらこんなふうなことを感じているのかもしれないよ、と伝えたい気持ちもあったんです。要は、「日本語」という、日本人にとって動かしがたいものを疑うひとつの小さなチャンスとしてこの本があってくれたらいいなあ、と。そして光栄にも同じ時期に刊行された、信田先生の『ザ・ママの研究』は、「ママ」というこの国ではきわめて相対化しづらいものを相対化するチャンスを与えてくれるものでしたから、とても勇気づけられたんです。

信田 ありがとうございます。それはこちらこそ光栄です。

 カジュアルに、やわらか~く、ママっていいよね、日本っていいよねっていう人たちに、信田先生の言葉をお借りすれば、誰かの犠牲の上で成り立っている当たり前を突き崩して見せなくてはいけないんだと。

信田 そういうことですね。

「多様性」の強調と「同一性」の強化

 そういえば、信田先生はいま、育児の本をお書きになられているとか?

信田 はい、秋に出ます。

 それは早く拝読したいですね! 母親たちの世界では、同調圧力というものがとんでもなく強いようですから、育児と教育ってやはりものすごく大変なことになっていると思うんです。ご本では、どんなことがポイントになりますか?

信田 人間ってやっぱり褒められないといけないな、と。

 それはまさにそうですね。

信田 たとえば周囲との違和感を感じる子、つまりちょっと自分が納得できないってことがあるっていう子に対しては、何はさておき、絶対褒めなければいけません。違いがわかって良かったねとか、褒めるためのいろいろな言葉を持っておきたい。それから、いわゆる「本質的」で「決定的」な言葉を言わないということでしょうか。「女ってこういうものだから」「男ってこういうものだから」「何々はこういうものだからこうなのよ」、そういう言葉を親として使わない。逆なんです。いろいろな人がいることに気づいて良かったね、すごいね、と。当然、親の価値観そのものが問われるわけですけれど、せっかくの育児の機会によく考えましょう、ということが言いたいですね。私は、差別の再生産は家族からだと思っていますから。

 本当にそう思います。あとは情報に振り回されないことも大事ですよね。

信田 そうですね。ネットも含めたメディアのいう「多様性」、じつはこれは現在、かなり強力な同一性の強化につながっているということも忘れてはいけないことだと思います。

 テレビや新聞といった大きなメディアが報道する内容に対して、SNSのような小さなメディアが発達すれば、もっと多様な意見が飛び交って、もう少し自由になるんじゃないかって多くの人が思っていたはずなのに、現実は逆になっていますよね。

信田 ええ。「いいね!」の強化ですよ。

 なるほど、たしかに。みんな安心したいんでしょうね。すでにできあがっている言葉をハッシュタグにして、同一化を図る。そうすることで、自分が外れていない、安全な場所にいると思いたい人が増えている気がします。逆に言えば、不安な人が増えているということなのかな、と思います。それと私、信田先生にどうしてもお伝えしたかったんですが、『ザ・ママの研究』の最後のほうにある「ママをずっと好きでいるために」という言葉がすごくいいなって思ったんです。ママを対象化するのはママを批判することが目的なんじゃなくて、好きでいるために必要なことなんだ、というところ。

信田 ありがとうございます。よく誤解されるけれど、親を嫌いにならなければならない、ってことじゃないんです。

 そうですよね。かけがえのない自分自身を受け入れる過程で、一回突き放そうよということが、なかなかうまく伝わらないんですね。

信田 突き放しても突き放しても、ストーカーのように迫ってくる母親が多いですからね。けれどそれを娘がまたその娘に繰り返さない方がいいに決まっていますから。本にも書きましたが、母親は孫にも手を伸ばしますから、娘たちにはがんばってもらわないと。本の帯にもありますが、この本で娘たちはつながって、ぜひ踏ん張ってほしいんです。ずっと被害者のままでいることは、いずれ加害者になってしまうという可能性もあるのですから。

 ええ。この本のおかげで、自分は一人じゃない、と救われる方は多いでしょう。それにしても「いいね」の数が露骨に可視化されるSNSなどとは違って、本というのは、自分は決して一人ではないということを一人でゆっくり噛みしめられるという意味でも、本当に貴重な媒体ですよね。

信田 そう思いますよ。そして温さんがこの対談の最初のほうで話されていた小学校の給食もそうだけれど、ともかく共感が強制され続けているんですよ、教育の現場でも。しかもすごいスピードで共感しなくてはならない。だから、むしろ共感からは距離をとるべきなんです。

 『「国語」から旅立って』では、日韓ワールドカップの年、居酒屋で日本代表戦をそこにいる全員で応援する羽目になったエピソードを書きましたが、ああいうときの、日本人ならみんなで日本を応援しようぜ、という空気はかなりきついものがあります。まさに共感が強制されている。でも、仲良くするためには共感し合わなくちゃならない、と思い込んでいる人は多い気がします。誰かと意見が異なっていても、共にあることって、本来なら可能なはずですよね。けれどそれが怖いんです。だからお互いの考えを否定しないように気をつけようとして、自分の考えや感情をちゃんと言えなくなってしまって、結局、実体のないふわっとした「いいね」を言い合っているような状況というか……。

泥船が沈むまで――「馴染めなさ」を見つめる

信田 そうですね。「共感」という言葉で同じような考えを強制されるということは、それ以外を全否定したり、いたずらに警戒することにつながりがちなんです。右へ倣えでみんな同じようなことをやって、同じようなものを残さずきれいに食べて、号令とともにみんなで同じような挨拶をする、そんなことが小さなうちから当たり前になっている。そこから逸れたら、それは集団に反逆することだったり、集団を否定することにされる。日本人の異様さですよ。無意味に笑いますしね。

 私がまさにそうだったんです。高校生のとき「ユウちゃんの笑顔には無理がある」と友人に指摘されたことがあります。無意識のうちに、笑ってさえいれば周りから受け入れてもらえると私は思っていたのでしょう。今思えば、見ていられないぐらい痛々しい笑い方だったんだろうと思います。それを指摘されて自覚して以来、自分が笑いたいときにだけ笑おうと決めました。うちでは母がしょっちゅう、「愛想良くしなさい」と言っていたんです。母が言うには「感じ良くしているほうが、みんなが優しくしてくれるんだよ」と。外国人という立場で、日本社会でそんなふうに振る舞うことで、母はいろいろな人たちから助けてもらえたこともあったんだと思います。だからそれをそのまま伝授してくれたとは思うんですけれど……これも私の今後のテーマですね。

信田 ご本の最後に、お母さんのこと、おじいちゃん、おばあちゃんのことを書きたい、とお書きになられていましたものね。それにしても難儀な国だわ、いまのこの日本という国は。

 先生のおっしゃった「共感」もそうですが、同調圧力があまりに強いせいで、無意味に笑うとか、そういうおかしな癖がついちゃったまま、身動きがとれずにいる人が多いような……。

信田 癖、というのとは少し違うかもしれませんね。滅私奉公的にがんばって国力を上げてきた国だけれど、今、あきらかに下り坂に入っている。アジアでトップだったという旧い記憶とプライドだけが残っているんです。けれど実は下り坂なんだと気づいてはいて、けれどそれをいつまでも否認しているんですよ。たとえば年金は不滅であるとか、すでにあり得ないのに過去の栄光がまだ生きていると信じてそれにしがみついている。ほかにモデルがないんですね。1960年代の安全保障条約で、これから未来永劫アメリカ様にくっついて行く、ってことを決めたわけでしょう。そしてその後必死な思いでなんとか成長したけれど、今は明らかにそうではない。なのに政治家はじめ、多くの人がいつまでもそのことを否認している。温さんがおっしゃっていた、馴染めなさを見つめられないということですよね。日本の人って、そういうことを見つめるのがすごく下手なんですよ。

 そして根拠なしに、まだ大丈夫、と。

信田 泥船が沈むまで「ちょっといい景色ねえ、三保の松原は〜」みたいに。

(笑)

信田 そしたら、だんだんと、あれ? なんだかだいぶ目線が下がってきた気がするぞ、仕方ないから少し乗員を減らしてみるか、と。

 そういう話ですよね。そしておそらく、その船を動かすために乗せた人たちからまず海に落とそう、ということなんですよ。

信田 そしたら船を漕げなくなりますけれどね。いわゆる知識人と言われる人たちはそこまできっちり見ているとは思いますけれども。労働力の圧倒的な不足というのは否定できないわけですし。けれど、いままでなんとかなってきた国ですからね。なにかあるたびに、「日本はすごい国なんだ。日本は神の国なんだ」と言って。

 なんとか安心したいときにかき集められる言葉が、「日本人頑張れ」とか「日本人なら大丈夫」。やはり3.11直後の話になってしまいますが、放射能のことが心配で母国に一時帰国しようとする外国人たちに対して、「都合が悪くなると逃げ出す奴らは二度と日本に来るな!」と言う人たちが少なからずいたのには、本当に胸が痛みました。

信田 新大久保の韓国料理店は軒並み休業状態でした。当然ですよね。そして戻ってきたら、「どの面下げて戻ってきたんだ」と言う人がたくさんいた。何を言っているんだ、私たちがそういう、出て行かなくてはいけないような危険な国に住んでいるだけじゃないか、と思ったんですけれどね。

 日本にいたいんだったら、日本全部を肯定しろ、と。そして外国人にばかりそれを強要する。日本は素晴らしい国だと讃える外国人しか認めないんです。

信田 本当に。日本すごいとか、なんでそんなTV番組ばかりなのかしらね。単純素朴にいいなと思えるのは、四季があることくらいかしら。

 あと、気のいいひとたちが多いこととか。強い自己主張をしてぶつかりあうんじゃなくて、少しずつ譲り合って、場の調和を保つのがじょうずな。

信田 そうですね、それが共感の強制でなければね。

 はい(笑)。                                                                                                                          <了>

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著者略歴

  1. 温 又柔

    1980年、台北市生まれ。小説家。3歳から東京在住。法政大学大学院・国際文化専攻修士課程修了。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞し、作家デビュー。両親はともに台湾人で、日本語、台湾語、中国語の飛び交う家庭に育つ。創作は日本語で行う。著作に、『たった一つの、私のものではない名前 my dear country』(Happa-no-Kofu, 2009年)、『来福の家』(集英社、2011年、のち白水社、2016年)、『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年)、『空港時光』(河出書房新社、2018年)、『台湾生まれ 日本語育ち 増補版』(白水社、2016年、日本エッセイストクラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『「国語」から旅立って』(新曜社「よりみちパン!セ」、2019年)など。2019年、「文学作品を通じて、複数の文化をルーツに持つ子どもの豊かな可能性を示すとともに、日本語や日本文化の魅力を広く発信し、国際文化交流及び多文化共生社会の実現に大きな貢献をしている」として、文化庁長官より表彰。

  2. 信田 さよ子

    臨床心理士、原宿カウンセリングセンター所長。
    お茶の水女子大学大学院修士課程修了。駒木野病院勤務などを経て、1995年原宿カウンセリングセンターを設立。母と娘の間に生じる根深い問題をはじめ、アルコール依存症、摂食障害、ひきこもり、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待などに悩む人たちなど、広く家族の間に生じる問題を中心に数多くのカウンセリングを行う。またその経験から、それらの問題を社会および歴史的構造との関係性の中で分析すると同時に、新たな家族のあり方を探り、提言、提示を行い続けている。著書に『アディクションアプローチ』『DVと虐待』『カウンセラーは何を見ているか』(以上、医学書院)、『加害者は変われるか?――DVと虐待をみつめながら』(ちくま文庫)、『依存症』(文春新書)、『依存症臨床論』(青土社)、『アディクション臨床入門』(金剛出版)、『母が重くてたまらない・墓守娘の嘆き』『家族のゆくえは金しだい』『<性>なる家族』(春秋社)、『母・娘・祖母が共存するために』(朝日新聞出版)、『増補新版ザ・ママの研究』(新曜社「よりみちパン!セ」、2019年)など。

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